スター・ウォーズ シスの復讐
2005年6月9日日本ではまだ公開されていなんだけど、アメリカでは既に公開されていたので、観ちゃいました。ま、当然英語で、しかも字幕などは無い訳だから完全に理解できたわけではないんだけど・・・
この作品では、オビ・ワンが活躍する。他のパイロットたちが戦闘服を着ているというのに、いつものジェダイの服のままで飛行機ガンガンとばしたり、大きなイグアナみたいなものに乗って走り回ったり、一人きりで敵に戦いを挑んでみたり、とにかく大活躍なのだ。エピソードIからIIIまでのオビ・ワンは、ユアン・マクレガーが演じているのでもちろん若いんだけど、どうしてもオビ・ワンはおじさん、もしくはじいちゃんなイメージが強く、今作みたいにあちこちで暴れ回る「やんちゃ」な感じはとても新鮮だった。時々おじさんやじいちゃんが「俺も若い頃は・・・」と昔の武勇伝を語るなんていうのがあると思うけど、ルーク・スカイウォーカー時代のオビ・ワンがこのときの活躍を語ったらまさにそんな感じだと思うんだよね。
あ、この作品はでR2D2も大活躍する。R2はC3POみたいに言葉を話さないから、人気者ではあるけど「感情」みたいなものを表すことってそんなに無かったのかなと思うんだけど、今回R2D2は、まるで人間の言葉を話しているかのように感じるシーンがいくつもある。アメリカでみたので、日本の劇場とちょっと違うなと思ったのは、こういうシーンで観客が「R2!」みたいに声を上げて応援しちゃうところかな。このときのラスベガスはメモリアル・デーのお休みでたぶん全米中から人が集まってたと思うから、そんな風に声援しちゃうのはどこかの田舎町から出て来た人だからかもしれないんだけど、でも、日本の映画館、いくら地方の劇場で観ても、声を上げて応援しちゃう人はいないような・・・映画の楽しみ方も様々ですな。
私はまだまだスター・ウォーズシリーズに対する勉強(?)不足で、これまでの5作品のストーリーとか登場人物とかの把握ができてないので、今回の作品はどちらかというと「また新たな作品」として観ている訳なんだけど、昔からこのスター・ウォーズをずっと観て楽しんでいる人たちは、シリーズ1作目だったエピソードIVとのつながりを考えて「そこはそうつなぐか。ま予想通りだな」とか「ちょっと安易なつなぎ方じゃない?」とか、私とはまた違った楽しみ方があったよう。
ついでに言うと、戦闘シーンでは特に英語は必要ないし、どうせR2D2は英語しゃべってないしなんてことを考え合わせると、英語で観ても十分楽しめた。あとは、シスがアナキンをダークサイドに引き込んで行くために語りかけるあたりがわかんないだけ。それがしっかりわかっているのといないのとでは、どのようにしてダース・ベイダーになっちゃったのかわかんないだろ!!ともいけるけどね。ま、そんな細かいことがわかんなくたって十分楽しめる作品だったということ。
日本での公開も期待して待つべし!!
この作品では、オビ・ワンが活躍する。他のパイロットたちが戦闘服を着ているというのに、いつものジェダイの服のままで飛行機ガンガンとばしたり、大きなイグアナみたいなものに乗って走り回ったり、一人きりで敵に戦いを挑んでみたり、とにかく大活躍なのだ。エピソードIからIIIまでのオビ・ワンは、ユアン・マクレガーが演じているのでもちろん若いんだけど、どうしてもオビ・ワンはおじさん、もしくはじいちゃんなイメージが強く、今作みたいにあちこちで暴れ回る「やんちゃ」な感じはとても新鮮だった。時々おじさんやじいちゃんが「俺も若い頃は・・・」と昔の武勇伝を語るなんていうのがあると思うけど、ルーク・スカイウォーカー時代のオビ・ワンがこのときの活躍を語ったらまさにそんな感じだと思うんだよね。
あ、この作品はでR2D2も大活躍する。R2はC3POみたいに言葉を話さないから、人気者ではあるけど「感情」みたいなものを表すことってそんなに無かったのかなと思うんだけど、今回R2D2は、まるで人間の言葉を話しているかのように感じるシーンがいくつもある。アメリカでみたので、日本の劇場とちょっと違うなと思ったのは、こういうシーンで観客が「R2!」みたいに声を上げて応援しちゃうところかな。このときのラスベガスはメモリアル・デーのお休みでたぶん全米中から人が集まってたと思うから、そんな風に声援しちゃうのはどこかの田舎町から出て来た人だからかもしれないんだけど、でも、日本の映画館、いくら地方の劇場で観ても、声を上げて応援しちゃう人はいないような・・・映画の楽しみ方も様々ですな。
私はまだまだスター・ウォーズシリーズに対する勉強(?)不足で、これまでの5作品のストーリーとか登場人物とかの把握ができてないので、今回の作品はどちらかというと「また新たな作品」として観ている訳なんだけど、昔からこのスター・ウォーズをずっと観て楽しんでいる人たちは、シリーズ1作目だったエピソードIVとのつながりを考えて「そこはそうつなぐか。ま予想通りだな」とか「ちょっと安易なつなぎ方じゃない?」とか、私とはまた違った楽しみ方があったよう。
ついでに言うと、戦闘シーンでは特に英語は必要ないし、どうせR2D2は英語しゃべってないしなんてことを考え合わせると、英語で観ても十分楽しめた。あとは、シスがアナキンをダークサイドに引き込んで行くために語りかけるあたりがわかんないだけ。それがしっかりわかっているのといないのとでは、どのようにしてダース・ベイダーになっちゃったのかわかんないだろ!!ともいけるけどね。ま、そんな細かいことがわかんなくたって十分楽しめる作品だったということ。
日本での公開も期待して待つべし!!
レモニー・スニケットの世にも不幸な物語
2005年6月8日欧米では大人気の子供向けのベストセラー本を映画化したと聞いたんだけど、子供たちはこんな不幸続きのお話を読んで本当に面白いって思っていたんだろうか?どれくらいの年齢層なのかは知らないけど、かわいそうな設定を楽しめるって言うのはある程度大きくなった、小学生くらいの子供たちなんだろうか?それとも、小さくても、かわいそうな設定の方が「どうなっちゃうの?どうなっちゃうの?」って感じで気になってしょうがないということなんだろうか?
そもそも子供って残酷っていうしね。
まあいいや、あまりに不幸なんだけど、その不幸の元凶になっているジム・キャリー扮するオラフ伯爵が次から次へと悪いことを考えて子供たちを殺そうとするのが、おもしろいというよりは、ちょっとわざとらしさを感じてしまった。その辺がやっぱり子供向けってことなのかな。そうそう、なんか、そのわざとらしさが結構「おとぎ話」という雰囲気を醸し出しているといえるのかもしれない。とはいえ、わざとらしいのでそんなに夢中になって引き込まれるってことまではないんだよね。不思議なお話だな〜
この物語に出てくるバイオレット役の女の子。当然欧米人だと思うんだけど、ぱっと観た感じはなんか日本のオタクっぽい男の子が好みそうなコスプレアイドルみたいな感じの顔だと思った。しばらく観ていて、目の色が緑っぽい色だったので、「そうだよね、日本人な訳が無い」と妙に納得しちゃったりして。
結局最後には、兄弟が力を合わせて窮地を脱し、とりあえずしばらくは安心して暮らせそうな感じだったから、まあハッピーエンドってことでいいんだろうかね。ジュード・ロウが、自分の子供もこの原作の大ファンだったということでこの作品のナレーション役を引き受けたんだって。でも・・・私日本語吹き替えで観てますから〜残念!って感じで関係ないのでした。
奇妙なファンタジーってことで、私としては、同じファンタジーなら、軽い気持ちで観られるけど面白いハリー・ポッターの方が好きだわ。
そもそも子供って残酷っていうしね。
まあいいや、あまりに不幸なんだけど、その不幸の元凶になっているジム・キャリー扮するオラフ伯爵が次から次へと悪いことを考えて子供たちを殺そうとするのが、おもしろいというよりは、ちょっとわざとらしさを感じてしまった。その辺がやっぱり子供向けってことなのかな。そうそう、なんか、そのわざとらしさが結構「おとぎ話」という雰囲気を醸し出しているといえるのかもしれない。とはいえ、わざとらしいのでそんなに夢中になって引き込まれるってことまではないんだよね。不思議なお話だな〜
この物語に出てくるバイオレット役の女の子。当然欧米人だと思うんだけど、ぱっと観た感じはなんか日本のオタクっぽい男の子が好みそうなコスプレアイドルみたいな感じの顔だと思った。しばらく観ていて、目の色が緑っぽい色だったので、「そうだよね、日本人な訳が無い」と妙に納得しちゃったりして。
結局最後には、兄弟が力を合わせて窮地を脱し、とりあえずしばらくは安心して暮らせそうな感じだったから、まあハッピーエンドってことでいいんだろうかね。ジュード・ロウが、自分の子供もこの原作の大ファンだったということでこの作品のナレーション役を引き受けたんだって。でも・・・私日本語吹き替えで観てますから〜残念!って感じで関係ないのでした。
奇妙なファンタジーってことで、私としては、同じファンタジーなら、軽い気持ちで観られるけど面白いハリー・ポッターの方が好きだわ。
Shall We Dance?
2005年6月7日飛行機の中で観た。つい先日テレビで日本版のShall We ダンス?を観たばかりだったので、オリジナルとハリウッド版を比べながら観ることができたのはよかったかもしれない。ただ、残念なのは、飛行機の中でやっている吹き替え版ってなんかヘタクソなんだよね。なんでだろう?この作品も吹き替えが下手くそで、なんか雰囲気壊れちゃう感じ。こんなんじゃ作品が台無しだよと、英語にチャンネルを切り替えてみたところ、内容が全部はっきりとわかるほどには聞き取れるはずもなく・・・しょうがないので日本語吹き替えで我慢したのでした。
で、ところどころはオリジナルにとても忠実に作られていると思うんだけど、オリジナルには無い設定もあったりして。作品全体の作りとしては、日本版はどちらかというとちょっと滑稽さというか、笑いを大切な要素にしていると思われるんだけど、ハリウッド版は夫婦の幸せみたいなものを最後にメインに据えるあたりが大人向け。ま、日本人とアメリカ人とでは、愛情表現も違っているから、日本版のように体のふれあいやあたたかい言葉のやりとりはあまりないけど、一枚の手紙で夫婦はまた強い絆で結ばれて・・・っていうような設定がいまいちアメリカ人には地味に思われたのに違いない。
確かに、リチャード・ギアがバラの花をもってタキシードを着てやって来て、自分をリードしてダンスを踊ってくれたら、女性はときめくのではなかろうか。日々の平凡な生活に明け暮れている中年夫婦に、またポッと何かあたたかな灯りがともるようなハリウッド版の作品は、日本版よりちょっと上品な仕上がりに感じたかな。
あと、ジェニファー・ロペスと草刈民代を比べてしまうと、やぱりどちらが自然に演技できているかといえばJLoでしょう。そこでもハリウッド版と日本版とで差がついちゃったな。
飛行機の中のヘタクソな吹き替えを差し引いても、どちらが好き勝手いわれると、ハリウッド版の方が好きかな。
で、ところどころはオリジナルにとても忠実に作られていると思うんだけど、オリジナルには無い設定もあったりして。作品全体の作りとしては、日本版はどちらかというとちょっと滑稽さというか、笑いを大切な要素にしていると思われるんだけど、ハリウッド版は夫婦の幸せみたいなものを最後にメインに据えるあたりが大人向け。ま、日本人とアメリカ人とでは、愛情表現も違っているから、日本版のように体のふれあいやあたたかい言葉のやりとりはあまりないけど、一枚の手紙で夫婦はまた強い絆で結ばれて・・・っていうような設定がいまいちアメリカ人には地味に思われたのに違いない。
確かに、リチャード・ギアがバラの花をもってタキシードを着てやって来て、自分をリードしてダンスを踊ってくれたら、女性はときめくのではなかろうか。日々の平凡な生活に明け暮れている中年夫婦に、またポッと何かあたたかな灯りがともるようなハリウッド版の作品は、日本版よりちょっと上品な仕上がりに感じたかな。
あと、ジェニファー・ロペスと草刈民代を比べてしまうと、やぱりどちらが自然に演技できているかといえばJLoでしょう。そこでもハリウッド版と日本版とで差がついちゃったな。
飛行機の中のヘタクソな吹き替えを差し引いても、どちらが好き勝手いわれると、ハリウッド版の方が好きかな。
Shall We ダンス?
2005年5月24日ハリウッド版も公開されているみたいだけど、それに合わせて日本版をテレビで放映していた。96年の作品だと言うからもう10年近く前の作品になるわけだけど、さすがに女性の着ている服とかメイクが古くさくて時代を感じる。但し、渡辺えり子が劇中で着ているいわゆるおばさんぽい服はどうやら普遍的なものらしく、おばさんぽいちょっとケバいメイクもやはり同じで、結局彼女だけがなんか違和感を感じさせなかったような気がする。
ハリウッド版も観てないけど、日本版はなんか「滑稽」と表現するのがぴったりという感じ。平凡で何不自由なく暮らしていた主人公が、突然電車を飛び降りて、今までやったこともないようなダンスの世界に飛び込む。そこで個性的な人たちに出会うわけだけど、みんな普段の生活の中ではそんなに優雅じゃないし、悩みもある。でも、ダンスをやっているときはそういうことみーんな忘れて思いっきり楽しんでいる様子がいい。結局、何か打ち込める趣味があれば、人生をより楽しむことができるという点が、ハリウッド版も製作されるほど受け入れられた理由なのかもしれない。
そういう作品全体の出来としては結構満足なんだけど、いくつか残念だった点も。一番は、やっぱり草刈民代の演技が下手だったことかな。作品の最初から最後まで、踊っているシーン以外は、なんか違和感が。セリフの言い方とかがいけないのかな。もともとはバレエダカラダンサーだから、演技は得意ではないのかも。竹中直人のおかしな演技も気になったけど、あれはいつものことだからしょうがないか。監督そういうのを求めて彼を起用したんだろうし。
役所広司は、いわゆる「カタブツ」がふらっとダンスホールに足を踏み入れ、草刈民代にこっぴどく拒絶された後もダンスに一生懸命打ち込む中年サラリーマンの役を見事に演じていたと思う。どちらかというと浅間山荘事件の映画(TVCMで観ただけだけど)の頼りになって強くてかっこいい役柄の方が思い浮かぶけど、こういう役もできるのね。この人とSMAPの稲垣吾郎が出演している「笑いの大学」って言う映画もちょっと観たかったんだよね〜「Shall We ダンス?」を観てこっちの方も観たくなった。
リップサービスかもしれないけどハリウッド版のリチャード・ギアもオリジナルのことはとてもほめていて、「オリジナル版はすばらしく、全く同じに作ってもかなわないと思ったので、ハリウッド版はハリウッド版としてアレンジしている」というようなことを日本に来たときのインタビューで答えていた気がする。ということは、日本版のほうはアメリカ人が観ても結構面白かったということなんだろう。
草刈民代と竹中直人にはやや不満はあったものの、作品全体としては結構楽しめた。なんか、平凡だけど一生懸命生きている人たちへのエールとも受け取れるし、そこまで立派なテーマでなくてもなんか笑える作品でよかった。
ハリウッド版も観てないけど、日本版はなんか「滑稽」と表現するのがぴったりという感じ。平凡で何不自由なく暮らしていた主人公が、突然電車を飛び降りて、今までやったこともないようなダンスの世界に飛び込む。そこで個性的な人たちに出会うわけだけど、みんな普段の生活の中ではそんなに優雅じゃないし、悩みもある。でも、ダンスをやっているときはそういうことみーんな忘れて思いっきり楽しんでいる様子がいい。結局、何か打ち込める趣味があれば、人生をより楽しむことができるという点が、ハリウッド版も製作されるほど受け入れられた理由なのかもしれない。
そういう作品全体の出来としては結構満足なんだけど、いくつか残念だった点も。一番は、やっぱり草刈民代の演技が下手だったことかな。作品の最初から最後まで、踊っているシーン以外は、なんか違和感が。セリフの言い方とかがいけないのかな。もともとはバレエダカラダンサーだから、演技は得意ではないのかも。竹中直人のおかしな演技も気になったけど、あれはいつものことだからしょうがないか。監督そういうのを求めて彼を起用したんだろうし。
役所広司は、いわゆる「カタブツ」がふらっとダンスホールに足を踏み入れ、草刈民代にこっぴどく拒絶された後もダンスに一生懸命打ち込む中年サラリーマンの役を見事に演じていたと思う。どちらかというと浅間山荘事件の映画(TVCMで観ただけだけど)の頼りになって強くてかっこいい役柄の方が思い浮かぶけど、こういう役もできるのね。この人とSMAPの稲垣吾郎が出演している「笑いの大学」って言う映画もちょっと観たかったんだよね〜「Shall We ダンス?」を観てこっちの方も観たくなった。
リップサービスかもしれないけどハリウッド版のリチャード・ギアもオリジナルのことはとてもほめていて、「オリジナル版はすばらしく、全く同じに作ってもかなわないと思ったので、ハリウッド版はハリウッド版としてアレンジしている」というようなことを日本に来たときのインタビューで答えていた気がする。ということは、日本版のほうはアメリカ人が観ても結構面白かったということなんだろう。
草刈民代と竹中直人にはやや不満はあったものの、作品全体としては結構楽しめた。なんか、平凡だけど一生懸命生きている人たちへのエールとも受け取れるし、そこまで立派なテーマでなくてもなんか笑える作品でよかった。
シカゴ
2005年5月23日ミュージカル仕立ての映画だから、もしくはミュージカルだからこそ成り立っている訳だけど、あらすじは、要は人殺しの女が二人、お金と「女」を武器に無罪放免と人気を勝ち取るっていうお話。単純にこう書いてしまうとずいぶんといやらしいお話だけど、それを嫌悪感を与えずに観客に観せるのは、ミュージカル(もしくはミュージカル仕立ての映画)ならではか。
たとえばキャサリン・ゼダ・ジョーンズ。美人だし、迫力があるし、こういう人が殺人犯と聞くと「いかにも」って感じがする。一方で、レニー・セルヴィガーの場合は、童顔だし、どちらかというと虫も殺せませんというような雰囲気。そんな彼女が、優しいだけで男としての魅力に欠ける夫に飽き飽きして、浮気しまくり、挙げ句の果てにはだまされて、自分を騙した男を殺して刑務所に入れられちゃうわけだけど、そこから策を弄して無罪を勝ち取るまでの奮闘ぶりは結構おかしい。とにかく、ものすごく自己中心的なのだ。時々、現実世界にもものすごく自己中心的な人がいると思うんだけど、中途半端に自己チューの場合は、ただ単に「あいつはわがままだから」と言われるだけなんだけ。ところが、あるラインを超えると、自己中心的な態度はその人の立派な(?)個性となる。周りの人も、その人の自己チューを個性と認め、その個性を受け入れられる人が周りに集まってくるので、その人はそういう寛大な人たちの中でますます自己チューとなって生きていける。そして、そういう人がなぜが世の中をうまく渡って行けるようになるのだから不思議なものだ。
この作品のロキシーもまさにそんな感じ。自己チューを貫き通してスターダムにのし上がる。
レニーもずいぶんレッスンを積んだとは思うけど、やっぱりダンスはキャサリン・ゼダ・ジョーンズにはかなわない。イギリス生まれの彼女は、10歳になる前から地元の舞台に上がっていたらしい。歌も踊りも年季が入っているし、なにより彼女のナイスバディに迫力がある。ニコール・キッドマンとかハル・ベリーとかは無駄なお肉がいっさいついていなくて細ーい感じだけど、キャサリン・ゼダ・ジョーンズは「豊満」って感じ。それでセクシーなダンスを踊ればそりゃあ迫力あるよね。
法廷を舞台にリチャード・ギアが歌って踊ってみたり、刑務所の鉄格子の中で女性たちが自分たちの「悪行」について述べつつ踊るシーンも雰囲気満点。こうして所々に挟まれるきらびやかな歌とダンスのシーンが無かったら、自己チューな女たちが策を弄して無罪を勝ち取る様を描くストーリーなんて腹が立ってみてられないと思う。
映画がそれなりに楽しめたので、ぜひミュージカルの方も見てみたいものだ。一応映画でストーリーを知っていれば、本場NYの舞台でミュージカルの「シカゴ」を観ても楽しめるんじゃなかろうか。
たとえばキャサリン・ゼダ・ジョーンズ。美人だし、迫力があるし、こういう人が殺人犯と聞くと「いかにも」って感じがする。一方で、レニー・セルヴィガーの場合は、童顔だし、どちらかというと虫も殺せませんというような雰囲気。そんな彼女が、優しいだけで男としての魅力に欠ける夫に飽き飽きして、浮気しまくり、挙げ句の果てにはだまされて、自分を騙した男を殺して刑務所に入れられちゃうわけだけど、そこから策を弄して無罪を勝ち取るまでの奮闘ぶりは結構おかしい。とにかく、ものすごく自己中心的なのだ。時々、現実世界にもものすごく自己中心的な人がいると思うんだけど、中途半端に自己チューの場合は、ただ単に「あいつはわがままだから」と言われるだけなんだけ。ところが、あるラインを超えると、自己中心的な態度はその人の立派な(?)個性となる。周りの人も、その人の自己チューを個性と認め、その個性を受け入れられる人が周りに集まってくるので、その人はそういう寛大な人たちの中でますます自己チューとなって生きていける。そして、そういう人がなぜが世の中をうまく渡って行けるようになるのだから不思議なものだ。
この作品のロキシーもまさにそんな感じ。自己チューを貫き通してスターダムにのし上がる。
レニーもずいぶんレッスンを積んだとは思うけど、やっぱりダンスはキャサリン・ゼダ・ジョーンズにはかなわない。イギリス生まれの彼女は、10歳になる前から地元の舞台に上がっていたらしい。歌も踊りも年季が入っているし、なにより彼女のナイスバディに迫力がある。ニコール・キッドマンとかハル・ベリーとかは無駄なお肉がいっさいついていなくて細ーい感じだけど、キャサリン・ゼダ・ジョーンズは「豊満」って感じ。それでセクシーなダンスを踊ればそりゃあ迫力あるよね。
法廷を舞台にリチャード・ギアが歌って踊ってみたり、刑務所の鉄格子の中で女性たちが自分たちの「悪行」について述べつつ踊るシーンも雰囲気満点。こうして所々に挟まれるきらびやかな歌とダンスのシーンが無かったら、自己チューな女たちが策を弄して無罪を勝ち取る様を描くストーリーなんて腹が立ってみてられないと思う。
映画がそれなりに楽しめたので、ぜひミュージカルの方も見てみたいものだ。一応映画でストーリーを知っていれば、本場NYの舞台でミュージカルの「シカゴ」を観ても楽しめるんじゃなかろうか。
チョコレート
2005年5月22日何かと完全に勘違いしていた。たぶん「ショコラ」と勘違い。そんな勘違いをもとに観始めたものだから、ストーリーが進んでも進んでも、ちっとも明るくほのぼのとした雰囲気にはならないから、思い込みがあった分逆に重く感じたのかもしれない。でも、現実の世界ってこんなもんかもって思ってしまう。
だいたい、日本語のタイトルが意味不明過ぎる。原題はMonster’s Ballとかっていうタイトルで、イギリスでは、死刑執行の前夜にものすごいパーティーを開くらしいと、この映画の中で看守同士が話をするエピソードになぞらえてのことだろう。それが「チョコレート」?映画の中でビリー・ボブ・ソーントンがいつもレストランで必ずチョコレートアイスをオーダーすることから来ているのかもしれないけど、あまりに安易すぎやしませんかね?
最近気になるのは映画のテレビCM。いくら観客動員数を集めたいからって、映画の趣旨に関わらず「売れ筋」だけでCMを作ったりする日本の映画配給会社の方針には全く賛成できない。たとえば今公開中の「キングダム・オブ・ヘブン」にしても、山田優が「心の中でずっと『オーリー!オーリー!』って叫んでました」みたいなことを言うCMが流れているけど、あのCMのせいで、すっかり作品が「バカっぽい、単なるアイドルチャラチャラ系映画」みたいになってしまっている。山田優は嫌いじゃないし、彼女は映画会社に言わされているだけなんだろうけど、オーランド・ブルームファンの女性がカップルでくれば観客動員数増えるかなみたいな、売上至上主義にもとづくCMで作品のイメージを台無しにするのはやめてほしい。まだ観ていないけど、「キングダム・オブ・ヘブン」は、チャラチャラ系映画でもなんでもなく、しっかりと作られた作品だと聞いている。しかし、あのCMでは、本当にいい映画を観たいと思っている、大人の男性たちはまず敬遠しちゃうんじゃないかな。日本の映画会社はこんなことを繰り返してばかりいるような気がする。例えば、もうずいぶんと昔の作品になってしまうけど、レオナルド・ディカプリオが出演した「仮面の男」という作品があった。ちょっとおじさんになった三銃士がメインのお話で、すごく渋くてかっこいいのに、当時は「タイタニック」でディカプリオの人気がとても高かったからという理由で、作品中ではむしろ脇役に近いような位置づけのディカプリオを前面に出したCMを流し続けて、作品にチャラチャラ系イメージをなすり付けた。そのせいで劇場には観に行かなかったけれど、後からDVDで観てみたら、ディカプリオも出演はしているけど彼はメインじゃなくて、あくまで三銃士の男たちのかっこよさがメインの映画だとわかった。
最近夫婦のどちらかが50歳以上だと二人で2000円で映画が見られるようなサービスをやって、映画業界は中高年層の客の取り込みに力を注いでいるようだけど、それなら同時に、CMの作り方も考え直そうよ。映画会社で働いている人たちって、基本的には映画が好きな人たちなんじゃないの?昔は自分で映画を制作することも夢見ていたっていう人だっているだろうに。そんな映画好きが、映画の良さを台無しにするようなCM作るって、いくらなんでもおかしすぎる。
大分話がそれたけど、チョコレートの話に戻ろう。
この作品、とにかく出てくる出来事重いことばかり。死刑執行、自殺、ひき逃げ。おまけに息子と父親が同じ売春婦を買っていたり、おじいちゃんはものすごい人種差別主義者だったり、貧乏で家賃が払えず立ち退きになったり。とにかく救いがない。そんな中で、ちょっとだけ救いがあったなと思えるのが、当初は黒人に対してものすごくひどい態度を取っていたビリー・ボブ・ソーントン演じるハンクが、黒人に対し優しい姿勢をとるようになったことだろうか。息子を失った後、以前銃で追い払ったこともある子供たちが、自分の息子に対してお悔やみを言ってくれたときにお礼を言ったり、その後車の修理を頼んだりして、黒人に対しても心を開くようになった姿にはちょっと救われた。そのことに気がつくために、ハンクはとてつもない代償を払うことになった訳だけど。
結局、親子三代看守っていうこの家庭を不幸にしたのは、ここに出てくるおじいちゃんに違いない。映画の中で、おじいちゃんの妻、つまりおばあちゃんは自殺したのだとわかる。偉そうで、相手が傷つくことを平気で言い、そんな風にして人を傷つけて自分の力を誇示しようとする姿勢が、おばあちゃんを自殺に追い込み、ハンクにもそんな尊大な態度を刷り込み、そのせいで孫も死に追いやったに違いない。もしかしたら、このおじいちゃんのお父さんもそうだったのかもしれないけどね。最後におじいちゃんが施設に追いやられるのも、家族を不幸に追いやった報いだね。最初はちょっとかわいそうにも思ったけど、このおじいちゃんだもの、そんな風になって当然だ。
この作品、全体的に暗いトーンだし、観ていても重くて厳しい。派手な演出とかもないけど、その分、役者さんの演技が光る作品なのかも。息子を失ってしまったことで、これまでの自分の生き方や考え方に疑問を持ち、少しずつ自分を変えていこうとするハンク。11年も死刑囚の夫との面会に通い、子供を育て、夫を亡くし、子供を亡くして通りがかりに手を差し伸べてくれたハンクにすがるレティシア。お互い自分にとって大切なものを無くした後、なんだか呆然とした状態から、少しずつ回復してまた何かを始めようとするその姿を、ビリー・ボブ・ソーントンは淡々と、ハル・ベリーは激しく演じていたのではないだろうか。
楽しい作品ではないけど、派手な演出も無く、ひたすら淡々と人の生きる様を描くっていう、なんか映画らしい映画って感じだった。
だいたい、日本語のタイトルが意味不明過ぎる。原題はMonster’s Ballとかっていうタイトルで、イギリスでは、死刑執行の前夜にものすごいパーティーを開くらしいと、この映画の中で看守同士が話をするエピソードになぞらえてのことだろう。それが「チョコレート」?映画の中でビリー・ボブ・ソーントンがいつもレストランで必ずチョコレートアイスをオーダーすることから来ているのかもしれないけど、あまりに安易すぎやしませんかね?
最近気になるのは映画のテレビCM。いくら観客動員数を集めたいからって、映画の趣旨に関わらず「売れ筋」だけでCMを作ったりする日本の映画配給会社の方針には全く賛成できない。たとえば今公開中の「キングダム・オブ・ヘブン」にしても、山田優が「心の中でずっと『オーリー!オーリー!』って叫んでました」みたいなことを言うCMが流れているけど、あのCMのせいで、すっかり作品が「バカっぽい、単なるアイドルチャラチャラ系映画」みたいになってしまっている。山田優は嫌いじゃないし、彼女は映画会社に言わされているだけなんだろうけど、オーランド・ブルームファンの女性がカップルでくれば観客動員数増えるかなみたいな、売上至上主義にもとづくCMで作品のイメージを台無しにするのはやめてほしい。まだ観ていないけど、「キングダム・オブ・ヘブン」は、チャラチャラ系映画でもなんでもなく、しっかりと作られた作品だと聞いている。しかし、あのCMでは、本当にいい映画を観たいと思っている、大人の男性たちはまず敬遠しちゃうんじゃないかな。日本の映画会社はこんなことを繰り返してばかりいるような気がする。例えば、もうずいぶんと昔の作品になってしまうけど、レオナルド・ディカプリオが出演した「仮面の男」という作品があった。ちょっとおじさんになった三銃士がメインのお話で、すごく渋くてかっこいいのに、当時は「タイタニック」でディカプリオの人気がとても高かったからという理由で、作品中ではむしろ脇役に近いような位置づけのディカプリオを前面に出したCMを流し続けて、作品にチャラチャラ系イメージをなすり付けた。そのせいで劇場には観に行かなかったけれど、後からDVDで観てみたら、ディカプリオも出演はしているけど彼はメインじゃなくて、あくまで三銃士の男たちのかっこよさがメインの映画だとわかった。
最近夫婦のどちらかが50歳以上だと二人で2000円で映画が見られるようなサービスをやって、映画業界は中高年層の客の取り込みに力を注いでいるようだけど、それなら同時に、CMの作り方も考え直そうよ。映画会社で働いている人たちって、基本的には映画が好きな人たちなんじゃないの?昔は自分で映画を制作することも夢見ていたっていう人だっているだろうに。そんな映画好きが、映画の良さを台無しにするようなCM作るって、いくらなんでもおかしすぎる。
大分話がそれたけど、チョコレートの話に戻ろう。
この作品、とにかく出てくる出来事重いことばかり。死刑執行、自殺、ひき逃げ。おまけに息子と父親が同じ売春婦を買っていたり、おじいちゃんはものすごい人種差別主義者だったり、貧乏で家賃が払えず立ち退きになったり。とにかく救いがない。そんな中で、ちょっとだけ救いがあったなと思えるのが、当初は黒人に対してものすごくひどい態度を取っていたビリー・ボブ・ソーントン演じるハンクが、黒人に対し優しい姿勢をとるようになったことだろうか。息子を失った後、以前銃で追い払ったこともある子供たちが、自分の息子に対してお悔やみを言ってくれたときにお礼を言ったり、その後車の修理を頼んだりして、黒人に対しても心を開くようになった姿にはちょっと救われた。そのことに気がつくために、ハンクはとてつもない代償を払うことになった訳だけど。
結局、親子三代看守っていうこの家庭を不幸にしたのは、ここに出てくるおじいちゃんに違いない。映画の中で、おじいちゃんの妻、つまりおばあちゃんは自殺したのだとわかる。偉そうで、相手が傷つくことを平気で言い、そんな風にして人を傷つけて自分の力を誇示しようとする姿勢が、おばあちゃんを自殺に追い込み、ハンクにもそんな尊大な態度を刷り込み、そのせいで孫も死に追いやったに違いない。もしかしたら、このおじいちゃんのお父さんもそうだったのかもしれないけどね。最後におじいちゃんが施設に追いやられるのも、家族を不幸に追いやった報いだね。最初はちょっとかわいそうにも思ったけど、このおじいちゃんだもの、そんな風になって当然だ。
この作品、全体的に暗いトーンだし、観ていても重くて厳しい。派手な演出とかもないけど、その分、役者さんの演技が光る作品なのかも。息子を失ってしまったことで、これまでの自分の生き方や考え方に疑問を持ち、少しずつ自分を変えていこうとするハンク。11年も死刑囚の夫との面会に通い、子供を育て、夫を亡くし、子供を亡くして通りがかりに手を差し伸べてくれたハンクにすがるレティシア。お互い自分にとって大切なものを無くした後、なんだか呆然とした状態から、少しずつ回復してまた何かを始めようとするその姿を、ビリー・ボブ・ソーントンは淡々と、ハル・ベリーは激しく演じていたのではないだろうか。
楽しい作品ではないけど、派手な演出も無く、ひたすら淡々と人の生きる様を描くっていう、なんか映画らしい映画って感じだった。
最後の恋の始め方
2005年5月21日試写会に当たったので観に行って来た。何かの映画評ではあまり評判が良くなかったように思ったけど、私としては合格。結構笑えたし、観終わった後も感じがいい。
ウィル・スミスがデートドクターってことで、なかなか好きな女性に近づけずにいる男性にきっかけをつかませたり、相手の女性を幻滅させないように注意すべきことを教えたりする。自分の手痛い過去の恋の経験からこんなことをやっているんだけど、本人は真剣にその男性を応援するのだ。だから、いい加減な気持ちの人や、セックスだけを目的としているようなお客はお断り。
お近づきになりたい女性に近づけるように、彼がいろいろ策を練って男性たちを応援するのがおもしろい。最初の方に、2組くらい実際に彼が応援して成立したカップルがいるんだけど、例えば女性が大切にしている犬を、男性の方が「命がけで助けた」みたいなシチュエーションからスタートするカップルもいる。
きっかけは「策を弄する」という感じではあるけど、彼が応援する男性たちは本当にその女性に首ったけの人たちだから、彼のアドバイスはもちろん参考にしているけど、結局は本人がとてもいい人だからこそ、カップルが成立するという感じ。ただ単に、ウィル・スミス演じるヒッチはその男性本人の本当の良さを引き出して、女性に伝わりやすいようにしているだけといったところなんだろう。
それにしても、こういうデート・ドクターと呼ばれる職業、本当にあるんだろうか?全く存在しないところからこのお話を考えだすのもちょっと難しいような気もするし、だとすると、本当にあるのかもしれない。お見合いパーティーみたいなものも出て来たりして、東西を問わず、自分の生涯のパートナーを捜そうとする熱意は変わらないみたい。
ウィル・スミスはお坊ちゃん育ちなんだろうか?今は俳優業が儲かっているからまあお金持ちであることは間違いないんだけど、バッド・ボーイズでも、たかが刑事なのにゴージャスなマンションに住んでいたり、今回もリッチな生活をしているんだけど、それが妙にしっくりいく。「のしあがった」というより、元々ボンボンで、こういうのには慣れてますっていう感じがするのが不思議。でも、ちょっと調べたところによると、まあ貧乏ではないけど、中流階級の子供という感じだな。
そんなわけで、軽い気持ちで楽しめる作品。この作品の前の日に観たのが「チョコレート」で重かったので、こういう軽くて笑える映画はちょうどよかったかもしれない。うーん、まあ劇場で絶対観るべきとまではいわないけど、観に行っても、結構楽しめるので、大損するってことはないでしょう。
ウィル・スミスがデートドクターってことで、なかなか好きな女性に近づけずにいる男性にきっかけをつかませたり、相手の女性を幻滅させないように注意すべきことを教えたりする。自分の手痛い過去の恋の経験からこんなことをやっているんだけど、本人は真剣にその男性を応援するのだ。だから、いい加減な気持ちの人や、セックスだけを目的としているようなお客はお断り。
お近づきになりたい女性に近づけるように、彼がいろいろ策を練って男性たちを応援するのがおもしろい。最初の方に、2組くらい実際に彼が応援して成立したカップルがいるんだけど、例えば女性が大切にしている犬を、男性の方が「命がけで助けた」みたいなシチュエーションからスタートするカップルもいる。
きっかけは「策を弄する」という感じではあるけど、彼が応援する男性たちは本当にその女性に首ったけの人たちだから、彼のアドバイスはもちろん参考にしているけど、結局は本人がとてもいい人だからこそ、カップルが成立するという感じ。ただ単に、ウィル・スミス演じるヒッチはその男性本人の本当の良さを引き出して、女性に伝わりやすいようにしているだけといったところなんだろう。
それにしても、こういうデート・ドクターと呼ばれる職業、本当にあるんだろうか?全く存在しないところからこのお話を考えだすのもちょっと難しいような気もするし、だとすると、本当にあるのかもしれない。お見合いパーティーみたいなものも出て来たりして、東西を問わず、自分の生涯のパートナーを捜そうとする熱意は変わらないみたい。
ウィル・スミスはお坊ちゃん育ちなんだろうか?今は俳優業が儲かっているからまあお金持ちであることは間違いないんだけど、バッド・ボーイズでも、たかが刑事なのにゴージャスなマンションに住んでいたり、今回もリッチな生活をしているんだけど、それが妙にしっくりいく。「のしあがった」というより、元々ボンボンで、こういうのには慣れてますっていう感じがするのが不思議。でも、ちょっと調べたところによると、まあ貧乏ではないけど、中流階級の子供という感じだな。
そんなわけで、軽い気持ちで楽しめる作品。この作品の前の日に観たのが「チョコレート」で重かったので、こういう軽くて笑える映画はちょうどよかったかもしれない。うーん、まあ劇場で絶対観るべきとまではいわないけど、観に行っても、結構楽しめるので、大損するってことはないでしょう。
コーラス
2005年5月8日公開している劇場が少ないのであまりメジャーではないフランス語の作品。
最初にブルックリン・ブリッジが映り、「あれ?この作品フランスの作品じゃなかったかな?」なんて不安になるんだけど、出てくる初老のおじさんはニューヨークで活躍している指揮者なんだとわかる。そして、この指揮者のおじさんの母親が亡くなり、おじさんがフランスに戻り、そこに昔のお友達が訪ねてきて指揮者のおじさんが過去を回想する。
という感じで、この作品は始まるんだけど、最後まで観てとても心温まる良いお話だったな〜と、これを書きながらしみじみ思う。
「池の底」と呼ばれる、問題児ばかりが集められた学校の中で、子供たちはいたずらし放題、教師も生徒たちには手を焼いていて、極めつけのこの校長は「やられたらやり返せ」と生徒に体罰を与えたりするような人。そんな学校に転任してきたマチューという音楽の先生が、歌を通じて子供たちと信頼関係を築いていく様子が描かれている。
スクール・ウォーズ(いきなり日本のドラマと比べちゃうのも申し訳ないのだけど)もそうだったけど、子供に何か夢中になれることを教えることで、子供たちのパワーを悪いことではなくその夢中になれるものに注ぐようにするというのは、世界共通の方法なのかもしれないな。
今回はその「夢中になれるもの」が音楽ということで。合唱団をやるようになって子供たちが少しずつ変わっていったといわれているのだけど、もっと如実に変わったのは校長以外の先生かもしれない。ほかの先生たちも、最初は子供たちと「戦う」ような感じだったけど、次第に子供たちにまた愛情を持って接するようになる。
それにしても、この作品の主人公、モランジュの少年時代役を務める男の子の声は本当にいい声なのだ。作品中では「奇跡の歌声」と呼ばれるのだけれど、澄み切った声で、彼が3000人の候補者の中からこの役を射止めたのもわかる気がする。もともとは「サン・マルク少年少女合唱団」のソリストらしいので、まあ歌はお手の物というところか。声変わりをしてしまったらもうあんな美しくて高い声は出なくなってしまう訳だけど、その辺の「限られた期間しか」という部分が、より「すばらしい」という思いを高めるのかもしれない。桜も、すぐに散ってしまうからこそ、これだけ日本人に愛されているのだけど、その感覚と似ているのかも。
あともうひとり、ペピノの少年時代を演じる男の子がいるんだけど、この子がかわいいんだな〜まだあどけないって感じで、両親がいない孤児の淋しさがにじみ出るような役を演じている。演技なのかな?演技だとしたらかなりの才能だと思うんだけど、この人はモランジュのおじさん時代を演じるジャック・ペランの息子なんだって。次回作は、ニコル・キッドマン主演の「インタープリター」だというのでちょっと楽しみにしていよう。
まずは合唱団のコーラスが文字通りすばらしいし、やはり群を抜いてすばらしいのはモランジュのソロ。それを聞くために観るだけでも価値がある気がする。そしてマチューが「池の底」にやって来て、去って行くまでの子供たちとの関係はやっぱり観ていて感動すると思う。この作品はぜひお薦めしたい。
最初にブルックリン・ブリッジが映り、「あれ?この作品フランスの作品じゃなかったかな?」なんて不安になるんだけど、出てくる初老のおじさんはニューヨークで活躍している指揮者なんだとわかる。そして、この指揮者のおじさんの母親が亡くなり、おじさんがフランスに戻り、そこに昔のお友達が訪ねてきて指揮者のおじさんが過去を回想する。
という感じで、この作品は始まるんだけど、最後まで観てとても心温まる良いお話だったな〜と、これを書きながらしみじみ思う。
「池の底」と呼ばれる、問題児ばかりが集められた学校の中で、子供たちはいたずらし放題、教師も生徒たちには手を焼いていて、極めつけのこの校長は「やられたらやり返せ」と生徒に体罰を与えたりするような人。そんな学校に転任してきたマチューという音楽の先生が、歌を通じて子供たちと信頼関係を築いていく様子が描かれている。
スクール・ウォーズ(いきなり日本のドラマと比べちゃうのも申し訳ないのだけど)もそうだったけど、子供に何か夢中になれることを教えることで、子供たちのパワーを悪いことではなくその夢中になれるものに注ぐようにするというのは、世界共通の方法なのかもしれないな。
今回はその「夢中になれるもの」が音楽ということで。合唱団をやるようになって子供たちが少しずつ変わっていったといわれているのだけど、もっと如実に変わったのは校長以外の先生かもしれない。ほかの先生たちも、最初は子供たちと「戦う」ような感じだったけど、次第に子供たちにまた愛情を持って接するようになる。
それにしても、この作品の主人公、モランジュの少年時代役を務める男の子の声は本当にいい声なのだ。作品中では「奇跡の歌声」と呼ばれるのだけれど、澄み切った声で、彼が3000人の候補者の中からこの役を射止めたのもわかる気がする。もともとは「サン・マルク少年少女合唱団」のソリストらしいので、まあ歌はお手の物というところか。声変わりをしてしまったらもうあんな美しくて高い声は出なくなってしまう訳だけど、その辺の「限られた期間しか」という部分が、より「すばらしい」という思いを高めるのかもしれない。桜も、すぐに散ってしまうからこそ、これだけ日本人に愛されているのだけど、その感覚と似ているのかも。
あともうひとり、ペピノの少年時代を演じる男の子がいるんだけど、この子がかわいいんだな〜まだあどけないって感じで、両親がいない孤児の淋しさがにじみ出るような役を演じている。演技なのかな?演技だとしたらかなりの才能だと思うんだけど、この人はモランジュのおじさん時代を演じるジャック・ペランの息子なんだって。次回作は、ニコル・キッドマン主演の「インタープリター」だというのでちょっと楽しみにしていよう。
まずは合唱団のコーラスが文字通りすばらしいし、やはり群を抜いてすばらしいのはモランジュのソロ。それを聞くために観るだけでも価値がある気がする。そしてマチューが「池の底」にやって来て、去って行くまでの子供たちとの関係はやっぱり観ていて感動すると思う。この作品はぜひお薦めしたい。
コンスタンティン
2005年5月7日GWなので、固め撃ちというか、毎日のように映画を観た。この日はキアヌ・リーブスの「コンスタンティン」。天使とか悪魔とかが出てくる作品なんだけど、私、何しろ聖書とか天使、悪魔系の情報に疎いので、あまり作品を理解できないまま終わってしまったよ・・・いやいや、結構面白かったし、楽しめたんだけど、聖書とか天使とか悪魔とか、キリスト教徒なら誰でも知っているような基本的な情報に詳しければ、実はもっと面白かったと思うんだよね。その点がちょっと残念だったかな。例えば、作品の中で水を介して地獄に行ったりするんだけど、この「水はどこにでもつながっているから」っていうのは、キリスト教の世界では当たり前のことなんだろうか?あと、仏教には「自殺したら天国には行けない」っていう考え方はなくて(もしそうだったら武将も軍人も腹切りしないよね)、でもカトリックにはそういう考え方があるのね。その辺も、私にはあまりピンとこないというか。そういう、キリスト教の世界観みたいなものがもうちょっとわかっていればもっと面白かったと思うんだよね。
なんかキアヌが主役っていうことで「マトリックス」と比べられたりもしているみたいだけど、「マトリックス」のヒーローっぷりとは全然違う。でも、「マトリックス」は、そもそも映像や音楽そのものがクールなので、この作品よりはやっぱり完成度は上だと思う。こっちはこっちでちょっと頬がこけた感じのキアヌが結構かっこいいし、まあそもそも描いている世界が違うし。
競演のレイチェル・ワイズ。私としては「ハムナプトラ」の時の彼女の方がキレイに見えたな。全然覚えてないんだけど、この人ヒュー・グラントの「アバウト・ア・ボーイ」にも出てたんだ〜知らなかった。
ほかにも、私全然理解できてないことがあって、羽が生えているのは天使のようなんだけど、その羽が真っ白じゃなくてちょっと灰色がかっているもんだから、それが天使だとは気づかなかったりして。あと、目の色が、フラッシュで赤目になっちゃったりするあんな感じになってる人がいるんだけど、その目の色で天使だか悪魔だかを表していたようなんだけど、それにも気づかず。
あ、あと、この作品、エンドクレジットが終わった後またちょっとだけ作品が続くので、これは最後まで我慢して残った方がいいよ。そして、私はこのシーンに出てくる人も、ずっと悪魔だと勘違いしちゃったんだけど、実は天使だったり・・・それくらい理解できていないから、この作品を堪能できたとは思えない。あ〜あ、本当に残念だわ。そんな私なので、この作品の善し悪しを語る資格はないと思うんだよね。
うーん、面白かったか?と聞かれたら、「よくわかんなかった」って答えるし、それ以外に何か?と問われれば、「まあキアヌはかっこ良かったかな」と答えるくらいか・・・すみません、そんな感じですわ。
なんかキアヌが主役っていうことで「マトリックス」と比べられたりもしているみたいだけど、「マトリックス」のヒーローっぷりとは全然違う。でも、「マトリックス」は、そもそも映像や音楽そのものがクールなので、この作品よりはやっぱり完成度は上だと思う。こっちはこっちでちょっと頬がこけた感じのキアヌが結構かっこいいし、まあそもそも描いている世界が違うし。
競演のレイチェル・ワイズ。私としては「ハムナプトラ」の時の彼女の方がキレイに見えたな。全然覚えてないんだけど、この人ヒュー・グラントの「アバウト・ア・ボーイ」にも出てたんだ〜知らなかった。
ほかにも、私全然理解できてないことがあって、羽が生えているのは天使のようなんだけど、その羽が真っ白じゃなくてちょっと灰色がかっているもんだから、それが天使だとは気づかなかったりして。あと、目の色が、フラッシュで赤目になっちゃったりするあんな感じになってる人がいるんだけど、その目の色で天使だか悪魔だかを表していたようなんだけど、それにも気づかず。
あ、あと、この作品、エンドクレジットが終わった後またちょっとだけ作品が続くので、これは最後まで我慢して残った方がいいよ。そして、私はこのシーンに出てくる人も、ずっと悪魔だと勘違いしちゃったんだけど、実は天使だったり・・・それくらい理解できていないから、この作品を堪能できたとは思えない。あ〜あ、本当に残念だわ。そんな私なので、この作品の善し悪しを語る資格はないと思うんだよね。
うーん、面白かったか?と聞かれたら、「よくわかんなかった」って答えるし、それ以外に何か?と問われれば、「まあキアヌはかっこ良かったかな」と答えるくらいか・・・すみません、そんな感じですわ。
ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ
2005年5月6日こわーい感じのホラー映画を予測していたんだけど、うん、まあ確かにそういう展開だとは予想はしなかったかな。テレビのCMで、ダコタ・ファニングが「チャーリー!チャーリー!チャーリー!チャーリー!」って連呼するシーンをみて、「あんたが怖いわ!!」って思っていたんだけど、実際映画を観ても、やっぱりあのシーンのダコタ・ファニングは怖かった・・・名演技といえば名演技か。
私はホラー映画は嫌いなんだ。あの、じりじりと「来るぞ、来るぞ・・・来たっ!!」っていうあの感じが、もう絶対何か出るってわかっていてもいやなんだよね〜。今回も、ドアを開けるとか、カーテンを開けるとか、その開けた瞬間バーンみたいな感じのシーンがホラー映画の雰囲気満点なんだけど、でも気持ち悪いシーンはそんなにないのね。それはよかった。
まだ観ていない人もいると思うので、あまりストーリーには触れないようにして、この映画、全国で5館だったかな、それくらいの数の劇場でだけ、別バージョンのエンディングが用意されているらしいのだ。この作品、いろいろ怪しいこととか、わかんないこととかが観終わっても残っているので、この別バージョンのエンディングも観てみたいものだ。うちから観に行けるところだと、舞浜のイクスピアリかな〜。DVDでもいいかな・・・
この作品に出ているファムケ・ヤンセンという女優さんは、X-MENにも出ていたのね。007シリーズにも出演していて、結構いい役。オランダ出身でもともとモデルさんだったのか。ほかにも、エリザベス役の女性は「ベスト・キッド」や「バック・トゥー・ザ・フューチャ−2」にも出てたんだね〜私は「バック・トゥー・ザ・フューチャー2」は観てないんだけどね。結構芸歴長いかも。
ストーリーに触れられないということになると、なかなか書くのが難しいんだよね〜別に感動はなしないから「超感動スリラー」っていうのは全然中身に合ってない気がするな。
特に感動したわけでもなく、でも、悪い作品でもなく、ただ、観終わった後、「なんであの人は・・・」とか「結局あの人はどういうことだったんだ?」っていうことが残ってしまって、満足したというわけではないんだよね。
あーそれにしても、別バージョンのエンディングが気になる。
私はホラー映画は嫌いなんだ。あの、じりじりと「来るぞ、来るぞ・・・来たっ!!」っていうあの感じが、もう絶対何か出るってわかっていてもいやなんだよね〜。今回も、ドアを開けるとか、カーテンを開けるとか、その開けた瞬間バーンみたいな感じのシーンがホラー映画の雰囲気満点なんだけど、でも気持ち悪いシーンはそんなにないのね。それはよかった。
まだ観ていない人もいると思うので、あまりストーリーには触れないようにして、この映画、全国で5館だったかな、それくらいの数の劇場でだけ、別バージョンのエンディングが用意されているらしいのだ。この作品、いろいろ怪しいこととか、わかんないこととかが観終わっても残っているので、この別バージョンのエンディングも観てみたいものだ。うちから観に行けるところだと、舞浜のイクスピアリかな〜。DVDでもいいかな・・・
この作品に出ているファムケ・ヤンセンという女優さんは、X-MENにも出ていたのね。007シリーズにも出演していて、結構いい役。オランダ出身でもともとモデルさんだったのか。ほかにも、エリザベス役の女性は「ベスト・キッド」や「バック・トゥー・ザ・フューチャ−2」にも出てたんだね〜私は「バック・トゥー・ザ・フューチャー2」は観てないんだけどね。結構芸歴長いかも。
ストーリーに触れられないということになると、なかなか書くのが難しいんだよね〜別に感動はなしないから「超感動スリラー」っていうのは全然中身に合ってない気がするな。
特に感動したわけでもなく、でも、悪い作品でもなく、ただ、観終わった後、「なんであの人は・・・」とか「結局あの人はどういうことだったんだ?」っていうことが残ってしまって、満足したというわけではないんだよね。
あーそれにしても、別バージョンのエンディングが気になる。
バイオ・ハザード
2005年5月5日ゾンビがたくさん出てくるというから、もっとおどろおどろしい感じで、今までは観たくないと思っていたんだけど、観てみると実は気持ち悪い感じはなかった。ホラー・ムービーではなく、アクション・ムービーだったのね。そうだな〜雰囲気的には、「エイリアン2」って感じ。時々気持ち悪いエイリアン又はゾンビが出ては来るけど、基本的には、チームで敵と戦うアクション・ムービーっていう点が共通点かも。こんな感じなんだったら、ついこの間やってたシリーズ物も観ればよかった。ま、公開当時はまだこの1作目を観ていなかったから観れなかったというのもあるかもしれないけどね。
思っていたよりは楽しめたんだけど、ちょっと気になったのは、「この作品、無理矢理ミラ・ジョボビッチのお色気シーンを作ってるよな〜」っていう点。作り手側のスケベ心が見え見えなのがちょっと興ざめだったよ。だって、別にシャワーで全裸で倒れているシーンから始まらなくてもいいし、最後に体に紙を巻き付けただけの状態で出てくる必要ないもの。普通に甚平さんみたいな、患者さんの服でいいじゃん。ヤレヤレ。ちょっと作品の質が下がった感じがしますわ。もともと高尚な作品でもないけどさ。
ゾンビも、安っぽくはなかったけど、そんなに気持ち悪くもなかったな。しかし、ちょっと不思議なのは、舞台になっているアンブレラ社は、細菌兵器の研究をしていたというけど、ゾンビになる薬なんて作ってどうするつもりだったんだろう?あれも兵器なのか?感染してから時間が経ってしまうと、ワクチンも効かなくなってしまうってことだったんだけど、じゃあ生きているうちに兵隊に注射して、無敵にして、それでもう人間には戻れなくなったら、首とかを撃って殺しちゃうのかな??まだ研究段階で完成はしてなかったんだっけ?おかしな細菌兵器を開発したものだ・・・これって、ゲームをやったことのある人だったらもっとストーリーを理解できるんだろうか?
この作品、原題は「バイオ・ハザード」ではなく、"Resident Evil"というらしい。ということは、もともとのゲームのタイトルも"Resident Evil"なんだろうか?ちょっと謎。
あと、特殊部隊の中にミシェル・ロドリゲスという女優さんが演じている隊員がいるだけど、この人はS.W.A.T.にも出ていて、そちらも当然ながら隊員。タフな役が多いらしい。確かにこの人が主演の作品も、"Girlfight"なんていう、女の子がボクシングにチャレンジするというような感じの作品。この作品のせいで、タフなイメージがついちゃったのかも。たしかにたくましい体つきをしているし。
作品の最後ですでに次のシリーズに続く感じで終わっていたので、気になるから次の作品もあまり間をおかずにみてしまいたいものだ。ミラ・ジョボビッチの不自然な「キワドイ」シーンで興ざめした以外は意外に楽しめた作品。
思っていたよりは楽しめたんだけど、ちょっと気になったのは、「この作品、無理矢理ミラ・ジョボビッチのお色気シーンを作ってるよな〜」っていう点。作り手側のスケベ心が見え見えなのがちょっと興ざめだったよ。だって、別にシャワーで全裸で倒れているシーンから始まらなくてもいいし、最後に体に紙を巻き付けただけの状態で出てくる必要ないもの。普通に甚平さんみたいな、患者さんの服でいいじゃん。ヤレヤレ。ちょっと作品の質が下がった感じがしますわ。もともと高尚な作品でもないけどさ。
ゾンビも、安っぽくはなかったけど、そんなに気持ち悪くもなかったな。しかし、ちょっと不思議なのは、舞台になっているアンブレラ社は、細菌兵器の研究をしていたというけど、ゾンビになる薬なんて作ってどうするつもりだったんだろう?あれも兵器なのか?感染してから時間が経ってしまうと、ワクチンも効かなくなってしまうってことだったんだけど、じゃあ生きているうちに兵隊に注射して、無敵にして、それでもう人間には戻れなくなったら、首とかを撃って殺しちゃうのかな??まだ研究段階で完成はしてなかったんだっけ?おかしな細菌兵器を開発したものだ・・・これって、ゲームをやったことのある人だったらもっとストーリーを理解できるんだろうか?
この作品、原題は「バイオ・ハザード」ではなく、"Resident Evil"というらしい。ということは、もともとのゲームのタイトルも"Resident Evil"なんだろうか?ちょっと謎。
あと、特殊部隊の中にミシェル・ロドリゲスという女優さんが演じている隊員がいるだけど、この人はS.W.A.T.にも出ていて、そちらも当然ながら隊員。タフな役が多いらしい。確かにこの人が主演の作品も、"Girlfight"なんていう、女の子がボクシングにチャレンジするというような感じの作品。この作品のせいで、タフなイメージがついちゃったのかも。たしかにたくましい体つきをしているし。
作品の最後ですでに次のシリーズに続く感じで終わっていたので、気になるから次の作品もあまり間をおかずにみてしまいたいものだ。ミラ・ジョボビッチの不自然な「キワドイ」シーンで興ざめした以外は意外に楽しめた作品。
ストーカー
2005年4月22日もっと怖い作品かと思っていたんだけど、思っていたほどではなかった。家族も友人もいない主人公の心の闇を描いているわけだけど、狂気っぷりが今ひとつだったんだな。もっと狂っていて悲しい結末だったら、もっとインパクトがあったのかもしれないけど。
とはいえ、主人公を演じるロビン・ウィリアムズ。その風体がすでにちょっと怖い。全体的色がちょっと薄い感じ。ちょっとステレオタイプな見方ではあるけど、日本人にとっても、色が白くてひょろっとしていて、大柄ではなく、眼鏡をかけていて、物静かで・・・となると、ちょっといじめられっ子というか、いわゆる「オタク人間」という目でみんなからは見られると思う。今回の主人公も、色が白くて、紙の色まで薄い金髪で、眼鏡をかけていて、物静かで、小柄で・・・と、こんな雰囲気は、アメリカ人にとっても「ストーカーになりやすそう」みたいなタイプなんだろうか?変なところで共通の価値観があるのが面白い。
友達も家族もいなくて、どちらかというと周りからは馬鹿にされていて・・・という主人公が、幸せを絵に描いたような家族の写真を現像し続けているうちに、自分もその家族の一員のように思いこんでしまう。なんて寂しいんでしょう。
この映画が描きたかったのは、家族本人はほとんどその人間のことを重視していないのに、主人公だけは、唯一その家族だけを心のよりどころにしていて、そして家族の危機に際し、家族本人たち以上に過剰な反応を示すという異常さだったと思うんだけど、結局「いい人」さを捨てきれず、中途半端なキレっぷりになってしまい、その結果インパクトに欠ける結果になったのでは?愛情と憎しみは表裏一体と良く言われるけど、慈しみ愛していたものが、自分の期待を裏切る行動に出たとき、愛情が一気に憎しみに変わって思いっきりその対象を痛めつけるっていうのが、こういう作品の怖さなのに、残念ながらそうならなかったんだな。最初から作り手の方が、そんなに狂ったことまでさせないで、ひたすら寂しい主人公の寂しい姿を撮ることを主眼に置いていたんだったらいいのかもしれないけど。
私のこの見方は、もしかしたら日本語のタイトルに引っ張られているところが大きいかもしれない。原題は"One Hour Photo"だもんね。普段何気なく預けて現像&プリントしてもらっている写真屋さんが、まさか自分や自分の家族に異常なまでの関心を寄せているとわかったら怖いだろうな・・・という程度の怖さを期待してみるものだったのかもしれない。「ストーカー」っていわれると、もっともっと怖いものを想像しちゃったから。
それにしても、この作品のせいで、写真屋さんの売り上げは一時低迷するなんてことにはならなかったんだろうか?そこまでの影響力はこの作品にはなかったか?ま、いずれにしても、今はもうデジカメの時代だから、一時期に比べたらずいぶんと売り上げは落ちてしまったんじゃなかろうか。ただ、例えば友達の結婚式の写真とか、綺麗に残しておきたい写真をプリントするときは、うちのプリンターが古くていまいちだからというのもあるけど、やっぱり写真屋さんにプリントしてもらっている。そう考えると、デジカメの時代になっても、当初想定されていたほどは売り上げは落ちていないのかもしれないな。それと機械による合理化を進めて、むしろ利益率は変わってないかも。
だいぶ映画からは話がそれてしまったけど、この「ストーカー」という作品、期待していたほどではなかったのだ。
とはいえ、主人公を演じるロビン・ウィリアムズ。その風体がすでにちょっと怖い。全体的色がちょっと薄い感じ。ちょっとステレオタイプな見方ではあるけど、日本人にとっても、色が白くてひょろっとしていて、大柄ではなく、眼鏡をかけていて、物静かで・・・となると、ちょっといじめられっ子というか、いわゆる「オタク人間」という目でみんなからは見られると思う。今回の主人公も、色が白くて、紙の色まで薄い金髪で、眼鏡をかけていて、物静かで、小柄で・・・と、こんな雰囲気は、アメリカ人にとっても「ストーカーになりやすそう」みたいなタイプなんだろうか?変なところで共通の価値観があるのが面白い。
友達も家族もいなくて、どちらかというと周りからは馬鹿にされていて・・・という主人公が、幸せを絵に描いたような家族の写真を現像し続けているうちに、自分もその家族の一員のように思いこんでしまう。なんて寂しいんでしょう。
この映画が描きたかったのは、家族本人はほとんどその人間のことを重視していないのに、主人公だけは、唯一その家族だけを心のよりどころにしていて、そして家族の危機に際し、家族本人たち以上に過剰な反応を示すという異常さだったと思うんだけど、結局「いい人」さを捨てきれず、中途半端なキレっぷりになってしまい、その結果インパクトに欠ける結果になったのでは?愛情と憎しみは表裏一体と良く言われるけど、慈しみ愛していたものが、自分の期待を裏切る行動に出たとき、愛情が一気に憎しみに変わって思いっきりその対象を痛めつけるっていうのが、こういう作品の怖さなのに、残念ながらそうならなかったんだな。最初から作り手の方が、そんなに狂ったことまでさせないで、ひたすら寂しい主人公の寂しい姿を撮ることを主眼に置いていたんだったらいいのかもしれないけど。
私のこの見方は、もしかしたら日本語のタイトルに引っ張られているところが大きいかもしれない。原題は"One Hour Photo"だもんね。普段何気なく預けて現像&プリントしてもらっている写真屋さんが、まさか自分や自分の家族に異常なまでの関心を寄せているとわかったら怖いだろうな・・・という程度の怖さを期待してみるものだったのかもしれない。「ストーカー」っていわれると、もっともっと怖いものを想像しちゃったから。
それにしても、この作品のせいで、写真屋さんの売り上げは一時低迷するなんてことにはならなかったんだろうか?そこまでの影響力はこの作品にはなかったか?ま、いずれにしても、今はもうデジカメの時代だから、一時期に比べたらずいぶんと売り上げは落ちてしまったんじゃなかろうか。ただ、例えば友達の結婚式の写真とか、綺麗に残しておきたい写真をプリントするときは、うちのプリンターが古くていまいちだからというのもあるけど、やっぱり写真屋さんにプリントしてもらっている。そう考えると、デジカメの時代になっても、当初想定されていたほどは売り上げは落ちていないのかもしれないな。それと機械による合理化を進めて、むしろ利益率は変わってないかも。
だいぶ映画からは話がそれてしまったけど、この「ストーカー」という作品、期待していたほどではなかったのだ。
ドロレス・クレイボーン
2005年4月19日スティーブン・キングの原作で、主演がキャシー・ベイツ。この二人の組み合わせと言えば、キャシー・ベイツがアカデミー主演女優賞を受賞した「ミザリー」が浮かぶ。私が「ミザリー」を観たのはおそらく中学生の時だったんじゃないだろうか。それまで映画すらそれほど観たことがなかったのに、なんで「ミザリー」を中学生の私が観たのかは覚えていない。ただ、「とても怖い映画だった」ということは強く印象に残っている。でももう10年以上経っているし、もう一度観てみたい気もする。中学生の時とは感じ方かも違うかもしれないし。
でも、今回の「ドロレス・クレイボーン」は「ミザリー」とは違う。狂気の怖さはなく、むしろ悲しい。端から見ていても、正直幸せとは思えない人生。見た目も決して美人とはいえず、むしろブスなほう。酒浸り夫から暴行を受けたり、安いお給料で意地悪な女主人に朝から晩までこき使われるような生活。唯一大切に守ってきた娘も、自分を顧みることなく、ずっと離れた都会でなんだか命を切り売りするかのように生きてる。そんなドロレスが、長年仕えた女主人のヴェラに向かってのし棒を振り上げているところを郵便配達員に目撃され、ヴェラが死んでしまうところから話は始まる。様子を見に来た娘に対しては優しいけど、捜査官や町の保安官に対しては悪態をついたりして、観客としても、こんなおばさんにとても感情移入なんかできない。観客も、娘や町の人たち同様に「このおばさんならやりかねないかな」と思ってしまう。でも、ドロレスのこれまでの人生を、彼女と一緒に振り返っていくうちに、このおばさんにどんどん感情移入してしまった。
酒浸りで暴力を振るうひどい夫と我慢して暮らしているのも、娘のためだったんだろうか。娘にだけは、自分と同じような道を歩ませたくないと、学費にするために安い給料で身を粉にして働く毎日。コツコツコツコツと、そのお給料を娘名義の口座に貯めていく。娘のためにと、じっと耐える毎日。長い間そんな風に耐えてきたのに、娘に何かあったとわかったときには、すぐさま出て行こうとする。そうしてまたしても、自分が裏切られたとわかる。
そんな風に自分を犠牲にしてまで守ってきた娘に疑われることが、どれほどか辛かったかと思う。しかも、そんなふうに守った娘も、金銭的には恵まれていたとしても、決して幸せとは思えないような暮らしをしている。物理的にも精神的にも自分から遠く離れてしまった娘のことを想って、娘の書く記事をスクラップブックにきれいに整理して貼っているような健気さもドロレスにはあるのだ。そんなドロレスの姿を見ていると、思わず涙がこぼれてしまった。お互い口汚く罵り合っていても、実は心を通わせあっていたドロレスとヴェラ。二つの事件の真相がわかったときに、冷え切っていた関係がようやく少し温まった感じのする母と娘。大切なものを守りきるためだったら、女というのはここまで強く恐ろしくなれるものなのか。
キングの作品は、宇宙人が出てきたり、人に不思議な力があったり、この世の終わりのような信じられない出来事が起こったりするようなストーリーが印象的なんだけど、この作品には、どこにもそんなものがない。全て現実にありそうなお話。
キングの原作を読んだことはないんだけど、原作を忠実に再現されているんだろうか?映画ならではの表現手法が用いられて、派手さはないけど、じんわり来る作品に仕上がっていたように思う。例えば、現在のドロレスは、暗く寂しい景色の中で描かれていて、それは今彼女が置かれている状況を表しているかのよう。それに対し、彼女が昔を思い出すときは、たとえそれが夫に暴力を振るわれるシーンであっても、色が鮮やかなのだ。彼女が娘を守るために、娘を育てるためにがんばっていた昔というのは、苦しい状況であったとはしても鮮やかな思い出だったのかも。それに対し、娘が自分を人殺しだと思ったまま離れてしまった、寂しい今のドロレスを表しているのかも。
どこがどうというわけではないけど、なんか心にじんわり来た作品。
でも、今回の「ドロレス・クレイボーン」は「ミザリー」とは違う。狂気の怖さはなく、むしろ悲しい。端から見ていても、正直幸せとは思えない人生。見た目も決して美人とはいえず、むしろブスなほう。酒浸り夫から暴行を受けたり、安いお給料で意地悪な女主人に朝から晩までこき使われるような生活。唯一大切に守ってきた娘も、自分を顧みることなく、ずっと離れた都会でなんだか命を切り売りするかのように生きてる。そんなドロレスが、長年仕えた女主人のヴェラに向かってのし棒を振り上げているところを郵便配達員に目撃され、ヴェラが死んでしまうところから話は始まる。様子を見に来た娘に対しては優しいけど、捜査官や町の保安官に対しては悪態をついたりして、観客としても、こんなおばさんにとても感情移入なんかできない。観客も、娘や町の人たち同様に「このおばさんならやりかねないかな」と思ってしまう。でも、ドロレスのこれまでの人生を、彼女と一緒に振り返っていくうちに、このおばさんにどんどん感情移入してしまった。
酒浸りで暴力を振るうひどい夫と我慢して暮らしているのも、娘のためだったんだろうか。娘にだけは、自分と同じような道を歩ませたくないと、学費にするために安い給料で身を粉にして働く毎日。コツコツコツコツと、そのお給料を娘名義の口座に貯めていく。娘のためにと、じっと耐える毎日。長い間そんな風に耐えてきたのに、娘に何かあったとわかったときには、すぐさま出て行こうとする。そうしてまたしても、自分が裏切られたとわかる。
そんな風に自分を犠牲にしてまで守ってきた娘に疑われることが、どれほどか辛かったかと思う。しかも、そんなふうに守った娘も、金銭的には恵まれていたとしても、決して幸せとは思えないような暮らしをしている。物理的にも精神的にも自分から遠く離れてしまった娘のことを想って、娘の書く記事をスクラップブックにきれいに整理して貼っているような健気さもドロレスにはあるのだ。そんなドロレスの姿を見ていると、思わず涙がこぼれてしまった。お互い口汚く罵り合っていても、実は心を通わせあっていたドロレスとヴェラ。二つの事件の真相がわかったときに、冷え切っていた関係がようやく少し温まった感じのする母と娘。大切なものを守りきるためだったら、女というのはここまで強く恐ろしくなれるものなのか。
キングの作品は、宇宙人が出てきたり、人に不思議な力があったり、この世の終わりのような信じられない出来事が起こったりするようなストーリーが印象的なんだけど、この作品には、どこにもそんなものがない。全て現実にありそうなお話。
キングの原作を読んだことはないんだけど、原作を忠実に再現されているんだろうか?映画ならではの表現手法が用いられて、派手さはないけど、じんわり来る作品に仕上がっていたように思う。例えば、現在のドロレスは、暗く寂しい景色の中で描かれていて、それは今彼女が置かれている状況を表しているかのよう。それに対し、彼女が昔を思い出すときは、たとえそれが夫に暴力を振るわれるシーンであっても、色が鮮やかなのだ。彼女が娘を守るために、娘を育てるためにがんばっていた昔というのは、苦しい状況であったとはしても鮮やかな思い出だったのかも。それに対し、娘が自分を人殺しだと思ったまま離れてしまった、寂しい今のドロレスを表しているのかも。
どこがどうというわけではないけど、なんか心にじんわり来た作品。
髑髏城の七人〜アオドクロ〜
2005年4月12日アオドクロって聞いたことないな〜と思いつつ、劇場ご招待のチケットが当たったので行ってみることに。どんな映画だかまったくわからないままだったので、劇場について、どうやらこれが舞台を映画にしたようなものだとわかったときは、「むむぅ、これは寝ちゃうかもしれない」と思った。なぜならその日は休みの日だというのに一日休日出勤だったし、とても疲れていたし。しかもこの映画、めちゃくちゃ時間が長くて、真ん中に休憩10分を挟んで3時間半くらいあるのだ。いったいどうなるんだろう・・・と思いつつ観始めたけど、結構おもしろかった。
今回はみなとみらいの109シネマズで観たんだけど、まず映像がとても綺麗。普段観ている映画館だと、映画が始まる前に、携帯を切れだの静かに観ろだのと言っている部分なんて、何度も流れているからか雨が降っているかのように筋が入っちゃっているんだけど、こちらの劇場はデジタル画像なのでそんな雨は降らないらしい。おまけに、音がめちゃくちゃよくて、重低音がすごい迫力なのだ。惜しむらくは今回の席が少し端の方だったので、反対側の端からの音がちょっと聞こえずら買ったのは残念だったんだけど、きっと真ん中あたりの席で観ていたら、右からも左からも後ろからも音が聞こえてかなりよかっただろうに。
最初に、何やらゴレンジャーの悪者たちのような格好をした人たちが出てきて、歌い踊られてしまったときには「こりゃだめだ。ハズレだ」と思った。こんな最初から歌と踊り踊らないとストーリーが先に進まないなんて、絶対寝ちゃうと思ったね。しかも悪者軍団の中の女性が歌う歌は、ビミョーな音なのだ。なんかはずれているようなはずれていないような、でも聞いていて居心地悪いというか、そんな感じ。
それでも、その先は笑いもふんだんに盛り込まれていて、ストーリー展開もそれほどちんたらじゃなく、おかげで楽しめた。時々親父の汚いお尻を度アップで映されたりするのには閉口したけど。
市川染五郎の出演作は、今回初めて観たかも。歌舞伎の舞台も観たことないけど、上手いというか、引き込まれるような演技をする人だと思った。セリフもところどころ歌舞伎のような言い回しだったりするけど、それがあまりわざとらしく不自然に思えないのはさすがに歌舞伎役者だからかな。前に中村獅童の『丹下左膳』を観に行ったけど、中村獅童よりも市川染五郎の方がずっと上手だと思った。ま、舞台の演出とか、作品全体の質が違うので比べてもしょうがないか。
ところどころに織り込まれたコテコテの演出も、笑いを誘うのでまあよしとしよう。池内くんの蘭兵衛は、美形なのはよかったのだけど、殺陣はもうちょっと練習が必要なのでは。あまりにもへにゃへにゃしていて迫力がなさすぎる。
それにしても、全然期待せずに観に行った割には本当におもしろくて、この「アオドクロ」の前に公開されたという「アカドクロ」も観てみたくなった。舞台の臨場感みたいなものも味わえる上に、顔の表情なんかは舞台で観るよりもっとはっきり見える訳だし、音と映像のよい劇場で観たせいもあるけど、迫力も十分。今度市川染五郎と宮沢りえが共演している「阿修羅城の瞳」という作品もなんか観てみたくなっちゃった。
思いがけない拾いものをしたという感じの作品でした。
今回はみなとみらいの109シネマズで観たんだけど、まず映像がとても綺麗。普段観ている映画館だと、映画が始まる前に、携帯を切れだの静かに観ろだのと言っている部分なんて、何度も流れているからか雨が降っているかのように筋が入っちゃっているんだけど、こちらの劇場はデジタル画像なのでそんな雨は降らないらしい。おまけに、音がめちゃくちゃよくて、重低音がすごい迫力なのだ。惜しむらくは今回の席が少し端の方だったので、反対側の端からの音がちょっと聞こえずら買ったのは残念だったんだけど、きっと真ん中あたりの席で観ていたら、右からも左からも後ろからも音が聞こえてかなりよかっただろうに。
最初に、何やらゴレンジャーの悪者たちのような格好をした人たちが出てきて、歌い踊られてしまったときには「こりゃだめだ。ハズレだ」と思った。こんな最初から歌と踊り踊らないとストーリーが先に進まないなんて、絶対寝ちゃうと思ったね。しかも悪者軍団の中の女性が歌う歌は、ビミョーな音なのだ。なんかはずれているようなはずれていないような、でも聞いていて居心地悪いというか、そんな感じ。
それでも、その先は笑いもふんだんに盛り込まれていて、ストーリー展開もそれほどちんたらじゃなく、おかげで楽しめた。時々親父の汚いお尻を度アップで映されたりするのには閉口したけど。
市川染五郎の出演作は、今回初めて観たかも。歌舞伎の舞台も観たことないけど、上手いというか、引き込まれるような演技をする人だと思った。セリフもところどころ歌舞伎のような言い回しだったりするけど、それがあまりわざとらしく不自然に思えないのはさすがに歌舞伎役者だからかな。前に中村獅童の『丹下左膳』を観に行ったけど、中村獅童よりも市川染五郎の方がずっと上手だと思った。ま、舞台の演出とか、作品全体の質が違うので比べてもしょうがないか。
ところどころに織り込まれたコテコテの演出も、笑いを誘うのでまあよしとしよう。池内くんの蘭兵衛は、美形なのはよかったのだけど、殺陣はもうちょっと練習が必要なのでは。あまりにもへにゃへにゃしていて迫力がなさすぎる。
それにしても、全然期待せずに観に行った割には本当におもしろくて、この「アオドクロ」の前に公開されたという「アカドクロ」も観てみたくなった。舞台の臨場感みたいなものも味わえる上に、顔の表情なんかは舞台で観るよりもっとはっきり見える訳だし、音と映像のよい劇場で観たせいもあるけど、迫力も十分。今度市川染五郎と宮沢りえが共演している「阿修羅城の瞳」という作品もなんか観てみたくなっちゃった。
思いがけない拾いものをしたという感じの作品でした。
ミーン・マシーン
2005年4月8日思うに、イギリス人は刑務所を舞台にした映画が好きなんだろうか?日本の映画はあまり観ないけど、テレビのコマーシャルを観ていても、やくざものはわりとよくみかけるものの、刑務所を舞台にした映画というのはそれほどみかけない。だけど、日本にやってくるイギリスの映画というのは、なぜか刑務所を舞台にしたものが多い気がする。「グリーン・フィンガーズ」もそうだし、「ラッキー・ブレイク」なんかもそうだし。刑務所なんて、とても悲惨な感じがするけど、実は結構楽しかったりするんだろうかなんて思ってしまう。実際には違うと思うけど。
で、この作品。サッカー選手が八百長試合でサッカー界を追放され、酒におぼれてドンドン人生の坂道を転がり落ちていくところから始まる。逮捕されて刑務所に来てみたら、国を裏切った奴だと、刑務所も当然居心地はよくない。そんな彼が、囚人チームvs看守チームのサッカーの試合のために、囚人チームのコーチ兼プレイヤーとしてだんだん周りに認められていくようになるというお話。最初はなかなか周りの囚人たちにとけこめなかったのが、サッカーを通じて仲良くなっていくんだけど、意地悪な看守長や借金で首が回らなくなってきている刑務所長、ちょっといかれた囚人、刑務所にずっといる古参の囚人、独房に入れられたままの超危険囚人などなど、登場人物もくせ者ぞろい。
さっきイギリス人は刑務所を舞台にした映画が好きなのかなと書いたけど、たぶん彼らが落ち着いて最後まで観ていられるというパターンが、刑務所、主人公の葛藤、サッカー(その他打ち込めるもの。例えばガーデニングまたはミュージカル)囚人が何か誇らしい成功をおさめること、そして友達が命を落とすこと。どうやらこのあたりのキーワードが揃っているとイギリスではそれなりにヒットしちゃうとか。それは、日本人が、うだつのあがらない侍、でも実は相当の使い手、苦しい生活、家族を大切にする姿っていう時代劇映画を安心して観てられるのと同じかも。「たそがれ清兵衛」とか「隠し剣鬼の爪とか、設定としてはほとんど同じでも、満足して観ていられるのと同じなのに違いない。
実は同じ設定でサッカーがフットボールに変わっただけの「ロンゲスト・ヤード」という映画がアメリカであって、今回はそれをリメイクしたものだとか。
結構笑えるシーンもありつつ、シリアスなシーンもあって、すっきり観終わる感じの作品。それにしてもイギリスの塀の中というのはこんなにドラマチックなもんなんだろうか??わりと軽く、しかも気持ちよく観終わる作品。
で、この作品。サッカー選手が八百長試合でサッカー界を追放され、酒におぼれてドンドン人生の坂道を転がり落ちていくところから始まる。逮捕されて刑務所に来てみたら、国を裏切った奴だと、刑務所も当然居心地はよくない。そんな彼が、囚人チームvs看守チームのサッカーの試合のために、囚人チームのコーチ兼プレイヤーとしてだんだん周りに認められていくようになるというお話。最初はなかなか周りの囚人たちにとけこめなかったのが、サッカーを通じて仲良くなっていくんだけど、意地悪な看守長や借金で首が回らなくなってきている刑務所長、ちょっといかれた囚人、刑務所にずっといる古参の囚人、独房に入れられたままの超危険囚人などなど、登場人物もくせ者ぞろい。
さっきイギリス人は刑務所を舞台にした映画が好きなのかなと書いたけど、たぶん彼らが落ち着いて最後まで観ていられるというパターンが、刑務所、主人公の葛藤、サッカー(その他打ち込めるもの。例えばガーデニングまたはミュージカル)囚人が何か誇らしい成功をおさめること、そして友達が命を落とすこと。どうやらこのあたりのキーワードが揃っているとイギリスではそれなりにヒットしちゃうとか。それは、日本人が、うだつのあがらない侍、でも実は相当の使い手、苦しい生活、家族を大切にする姿っていう時代劇映画を安心して観てられるのと同じかも。「たそがれ清兵衛」とか「隠し剣鬼の爪とか、設定としてはほとんど同じでも、満足して観ていられるのと同じなのに違いない。
実は同じ設定でサッカーがフットボールに変わっただけの「ロンゲスト・ヤード」という映画がアメリカであって、今回はそれをリメイクしたものだとか。
結構笑えるシーンもありつつ、シリアスなシーンもあって、すっきり観終わる感じの作品。それにしてもイギリスの塀の中というのはこんなにドラマチックなもんなんだろうか??わりと軽く、しかも気持ちよく観終わる作品。
あなたが寝てる間に
2005年4月7日どれくらい前の作品なんだろう?まだ10年は経っていないかな。笑えるところは笑うし、主人公の嘘がばれたらどんな窮地にたたされるんだろうとやきもきもするけど、観ていて心温まる作品。
サンドラ・ブロックは、作品を選ぶときは脚本のおもしろさで選んでいるのか、彼女の出演する作品は、人物の描写が上手くて、登場人物間のせりふがおもしろく、派手なアクションなんかなくても、十分に楽しめるものが多い気がする。特別じゃない、その辺の街のどこにでもいそうな人たちの日常切り取ったような作品。そんなどこにでもありそうな人たちの生活も、ちょっとした出来事からドラマになるってことだろうか。「スピード」や「デンジャラス・ビューティー」は、それなりにアクションもあったけど、「28days」とか「トゥー・ウィーク・ノーティス」なんかは、この作品と似たような系統かも。そういえば、デンジャラス・ビューティーは2作目がアメリカで公開されているらしい。早く観たいものだ。
だいぶ話がそれたけど今回の作品。主人公は両親を早くに亡くして一人で暮らす平凡な女性を、サンドラ・ブロックが演じているんだけど、彼女のキャラにぴったりはまっている感じ。ちょっとドジなところがあるけど、一生懸命生きていて、周りのみんなからも愛されているキャラ。そういうキャラを演じるのは得意中の得意かも。そのほかの登場人物たちもみんな善良な人たちで、映画の中で、独りぼっちで生きていた主人公がなかなか本当のことを話せなくなってしまうのもわかる気がする。そして、土壇場になって本当のことを伝えることになるわけだけど、これが感動なんだ。笑いと涙なしには観られないね。これまでのサンドラ・ブロックの出演作はどれもそれなりに気に入っているんだけど、涙だけで終わるんじゃなく、笑いもふんだんに盛り込まれている作品は特にお気に入り。
そんなわけで、観終わった時気持ちのいい作品。単なるラブ・ストーリーじゃなく、ファミリーもの的要素とコメディ的要素をスパイスのように盛り込んだ満足度の高い作品だった。
サンドラ・ブロックは、作品を選ぶときは脚本のおもしろさで選んでいるのか、彼女の出演する作品は、人物の描写が上手くて、登場人物間のせりふがおもしろく、派手なアクションなんかなくても、十分に楽しめるものが多い気がする。特別じゃない、その辺の街のどこにでもいそうな人たちの日常切り取ったような作品。そんなどこにでもありそうな人たちの生活も、ちょっとした出来事からドラマになるってことだろうか。「スピード」や「デンジャラス・ビューティー」は、それなりにアクションもあったけど、「28days」とか「トゥー・ウィーク・ノーティス」なんかは、この作品と似たような系統かも。そういえば、デンジャラス・ビューティーは2作目がアメリカで公開されているらしい。早く観たいものだ。
だいぶ話がそれたけど今回の作品。主人公は両親を早くに亡くして一人で暮らす平凡な女性を、サンドラ・ブロックが演じているんだけど、彼女のキャラにぴったりはまっている感じ。ちょっとドジなところがあるけど、一生懸命生きていて、周りのみんなからも愛されているキャラ。そういうキャラを演じるのは得意中の得意かも。そのほかの登場人物たちもみんな善良な人たちで、映画の中で、独りぼっちで生きていた主人公がなかなか本当のことを話せなくなってしまうのもわかる気がする。そして、土壇場になって本当のことを伝えることになるわけだけど、これが感動なんだ。笑いと涙なしには観られないね。これまでのサンドラ・ブロックの出演作はどれもそれなりに気に入っているんだけど、涙だけで終わるんじゃなく、笑いもふんだんに盛り込まれている作品は特にお気に入り。
そんなわけで、観終わった時気持ちのいい作品。単なるラブ・ストーリーじゃなく、ファミリーもの的要素とコメディ的要素をスパイスのように盛り込んだ満足度の高い作品だった。
ナショナル・トレジャー
2005年3月27日ジェリー・ブラッカイマーの作品といえば、いつもTVCMもがんがん流して大々的に宣伝するからものすごく期待してしまうんだけど、実際にははずれだったりもする。「パイレーツ・オブ・カリビアン」は私の中でははずれでした。で、今回の「ナショナル・トレジャー」。これまで同様TVCMもがんがん流れていたけど、「あの、『パイレーツ・オブ・カリビアン』の製作者が送る!」なんて言われつつ音楽まで「パイレーツ・オブ・オブ・カリビアン」の音楽でごまかされたりすると、私の疑心暗鬼ますます強くなる一方。そんな状態で、やや斜に構えながら観に行ったんだけど、今回はおもしろかったよ。たぶん脚本がよかったんだろうな。ニコラス・ケイジ扮する主人公のベンと一緒に自分も謎解きをしているような感じで最後まで一気に楽しめた。
日本人の私が観てもかなりおもしろかったんだけど、自分の国の歴史にとって大きな意味のある、そして誰でも知っている独立宣言なんかに絡めたミステリーとなると、アメリカ人にとってはさぞかしおもしろかったに違いない。宝探しといえば「インディ・ジョーンズ」シリーズかなと私なんかは思うんだけど、あれよりも観客を引き込む設定になっているところがこの作品の大きな魅力かと。大きな違いは、この作品の舞台背景が現代に設定されているところじゃなかろうか。自分たちが生きている、まさに今この時代が舞台で、しかも、首都ワシントンだの、ニューヨークだの、自分たちになじみのある街に絡めて展開されるミステリーとなると、夢中にならずにはいられないにちがいない。私たち日本人だって、東京を舞台にして、例えば豊臣家の財宝が、「灯台もと暗し」ってことで、徳川家のお膝元である江戸、とまり東京のどこかに眠っているなんてストーリーがそれらしく展開されるような面白い映画があれば、多少なりとも同じ感覚を味わえるかもしれない。実際に財宝探しのバラエティ番組もこれまでにいろいろ制作はされていて、それを見る人がいるわけだから。
今回ベンと共に宝探しに手を貸してくれるコンピュータオタクっぽい感じのライリーを演じているジャスティン・バーサっていう俳優さん、どこかで見たことあるかなと調べてみたけど、彼の出演作はまだそれほど多くなく、しかもどの作品も観ていない作品だったから、気のせいか。人のよさそうな、でもちょっぴり欲もあって、ベンに引っ張られながら危ない橋を渡るライリーの役にぴったりはまっていたと思う。今後の活躍が楽しみだ。
ニコラス・ケイジは、ここ最近では「マッチスティックメン」がよかったと思うんだけど、彼自身は、あのような「内向き」の演技をする役柄が続くととても疲れるんだとか。今回のベンの役は、自分から進んで出演を希望したらしい。
いやいや、それにしてもこの作品は面白かったな。謎解きが進めば進むほど、宝に近づいているのがわかるし、最後の結末もとても気持ちのいいものだったし。ここまでクオリティの高い内容にできるかは疑問ではあるけれど、ついつい続編を望んでしまう私なのでした。
日本人の私が観てもかなりおもしろかったんだけど、自分の国の歴史にとって大きな意味のある、そして誰でも知っている独立宣言なんかに絡めたミステリーとなると、アメリカ人にとってはさぞかしおもしろかったに違いない。宝探しといえば「インディ・ジョーンズ」シリーズかなと私なんかは思うんだけど、あれよりも観客を引き込む設定になっているところがこの作品の大きな魅力かと。大きな違いは、この作品の舞台背景が現代に設定されているところじゃなかろうか。自分たちが生きている、まさに今この時代が舞台で、しかも、首都ワシントンだの、ニューヨークだの、自分たちになじみのある街に絡めて展開されるミステリーとなると、夢中にならずにはいられないにちがいない。私たち日本人だって、東京を舞台にして、例えば豊臣家の財宝が、「灯台もと暗し」ってことで、徳川家のお膝元である江戸、とまり東京のどこかに眠っているなんてストーリーがそれらしく展開されるような面白い映画があれば、多少なりとも同じ感覚を味わえるかもしれない。実際に財宝探しのバラエティ番組もこれまでにいろいろ制作はされていて、それを見る人がいるわけだから。
今回ベンと共に宝探しに手を貸してくれるコンピュータオタクっぽい感じのライリーを演じているジャスティン・バーサっていう俳優さん、どこかで見たことあるかなと調べてみたけど、彼の出演作はまだそれほど多くなく、しかもどの作品も観ていない作品だったから、気のせいか。人のよさそうな、でもちょっぴり欲もあって、ベンに引っ張られながら危ない橋を渡るライリーの役にぴったりはまっていたと思う。今後の活躍が楽しみだ。
ニコラス・ケイジは、ここ最近では「マッチスティックメン」がよかったと思うんだけど、彼自身は、あのような「内向き」の演技をする役柄が続くととても疲れるんだとか。今回のベンの役は、自分から進んで出演を希望したらしい。
いやいや、それにしてもこの作品は面白かったな。謎解きが進めば進むほど、宝に近づいているのがわかるし、最後の結末もとても気持ちのいいものだったし。ここまでクオリティの高い内容にできるかは疑問ではあるけれど、ついつい続編を望んでしまう私なのでした。
ロング・エンゲージメント
2005年3月14日時間があったので映画館に行って、「何か今まで観てないやつでやってるかな?」ということで観たのがこの作品。そんなに期待してみた訳じゃないんだけど、まあ可もなく不可もなく。
まず一番のびっくりは、「なぜこのフランス映画にジョディー・フォスターが?」ってこと。ものすごく地味に、そしてほんとにちょっとした役で出ている。どうして?どうしてこの映画に彼女が、しかもこんなちょぴっと出ているのか、とても不思議。他のキャストはほとんどフランス人だと思われるのに。
他にこの映画の中で印象的だったのは、ロマンスものと思っていたわりには戦争のシーンがリアルで驚かされたこと。描かれているのは第一次世界大戦なんだけど、飛行機、毒ガス、戦車、機関銃など、近代戦争の武器が登場し、たくさんの人間が死ぬ様子はかなりリアルに描かれていたと思う。水浸しの塹壕の中をじゃぶじゃぶ歩いたり、絶望的な戦いに出るのがイヤで、自分の手を撃ってケガをしたり、上官のせいで一兵卒の命がとても軽々しく扱われたり。生き残ること自体が奇跡のよう。そんな戦いの中で戦死したと伝えられた婚約者を捜し続けるマチルドが、少しずつ、でも一歩ずつ確実にいろんな手がかりを見つけ出して婚約者の行方をたどるってお話。
戦争の惨いシーンがあるかと思えば、ちょこちょこ笑えるシーンも挟み込まれている。私が好きだったのは、マチルドに手紙を届けに来る郵便屋さんが自転車で乗り付けるときに、マチルドが住んでいるおじさん&おばさんのおうちの砂利を蹴散らして自転車を止めること。
2,3回その調子で砂利を蹴散らしまくっていたら、ある日やってきたときに郵便屋さんは自転車で転んでしまう。その理由は、いつもあまりに砂利を蹴散らされるので、おじさんが仕返しに砂利を庭から取ってしまい、その結果滑らなくなって郵便屋さんは転んでしまったということ。こういう、お話の本筋とは全く関係ないけど、マチルドと彼女を取り囲む登場人物たちが、とても愛すべき人々として描かれているのが観ている側の心をちょっとほっとさせる。
あ、そうそう。もう一つ疑問に思っているのは、この作品の中で描かれる1920年頃のフランスでは、本当にまだギロチン処刑が行われていたんだろうか?映画の中で実際にギロチン処刑の様子が描写されているシーンがあるのだけれど、たった80年ちょっと前までギロチン・・・ちょっと信じがたい。と思って調べてみたら、フランスでは1981年に死刑制度自体が廃止されているのだけど、その前、1977年の処刑までどうやらギロチンが使用されていたらしい。なので1920年のこの映画の時代にギロチンで処刑されること自体は不自然なことではないのね。ひゃー。
とりたてて感動したわけでもないし、ハラハラドキドキのミステリーだったわけでもないし。でも、まあそんなに悪い作品ではないかな。ロマンス映画としてみるよりも、マチルドが婚約者の行方を追い求める間に出会うたくさんの登場人物たちの人間的な魅力を楽しみながら観るのがよいのかもしれない。
まず一番のびっくりは、「なぜこのフランス映画にジョディー・フォスターが?」ってこと。ものすごく地味に、そしてほんとにちょっとした役で出ている。どうして?どうしてこの映画に彼女が、しかもこんなちょぴっと出ているのか、とても不思議。他のキャストはほとんどフランス人だと思われるのに。
他にこの映画の中で印象的だったのは、ロマンスものと思っていたわりには戦争のシーンがリアルで驚かされたこと。描かれているのは第一次世界大戦なんだけど、飛行機、毒ガス、戦車、機関銃など、近代戦争の武器が登場し、たくさんの人間が死ぬ様子はかなりリアルに描かれていたと思う。水浸しの塹壕の中をじゃぶじゃぶ歩いたり、絶望的な戦いに出るのがイヤで、自分の手を撃ってケガをしたり、上官のせいで一兵卒の命がとても軽々しく扱われたり。生き残ること自体が奇跡のよう。そんな戦いの中で戦死したと伝えられた婚約者を捜し続けるマチルドが、少しずつ、でも一歩ずつ確実にいろんな手がかりを見つけ出して婚約者の行方をたどるってお話。
戦争の惨いシーンがあるかと思えば、ちょこちょこ笑えるシーンも挟み込まれている。私が好きだったのは、マチルドに手紙を届けに来る郵便屋さんが自転車で乗り付けるときに、マチルドが住んでいるおじさん&おばさんのおうちの砂利を蹴散らして自転車を止めること。
2,3回その調子で砂利を蹴散らしまくっていたら、ある日やってきたときに郵便屋さんは自転車で転んでしまう。その理由は、いつもあまりに砂利を蹴散らされるので、おじさんが仕返しに砂利を庭から取ってしまい、その結果滑らなくなって郵便屋さんは転んでしまったということ。こういう、お話の本筋とは全く関係ないけど、マチルドと彼女を取り囲む登場人物たちが、とても愛すべき人々として描かれているのが観ている側の心をちょっとほっとさせる。
あ、そうそう。もう一つ疑問に思っているのは、この作品の中で描かれる1920年頃のフランスでは、本当にまだギロチン処刑が行われていたんだろうか?映画の中で実際にギロチン処刑の様子が描写されているシーンがあるのだけれど、たった80年ちょっと前までギロチン・・・ちょっと信じがたい。と思って調べてみたら、フランスでは1981年に死刑制度自体が廃止されているのだけど、その前、1977年の処刑までどうやらギロチンが使用されていたらしい。なので1920年のこの映画の時代にギロチンで処刑されること自体は不自然なことではないのね。ひゃー。
とりたてて感動したわけでもないし、ハラハラドキドキのミステリーだったわけでもないし。でも、まあそんなに悪い作品ではないかな。ロマンス映画としてみるよりも、マチルドが婚約者の行方を追い求める間に出会うたくさんの登場人物たちの人間的な魅力を楽しみながら観るのがよいのかもしれない。
あずみ
2005年3月10日もうすぐあずみ2が始まるらしいのだけど、こちらは先日テレビでやっていたもの。
う〜ん、まあ「梟の城」よりはずっとましかな。上戸彩の殺陣シーンはポーズばかりでほとんどないんだけど、まあ仕方ないか。おもしろさとしては修羅雪姫の方がおもしろかったかもしれない。
もともと小山ゆうの原作をちょっとだけ読んだことがある。あんまり覚えていないんだけど、そういえば一緒に育った仲間同士で斬り合うっていうエピソードあったな。
今回の映画で最も印象的だったのはオダギリジョーのキレた演技っぷり。彼が演じていたのは美女丸っていう、やたら腕は立つけど残酷で女言葉で話すような気持ち悪いヤツ。最初は誰が演じているのかわからなかったけれど、彼のあごにあるほくろでわかった。エキセントリックな感じが良く出ていて、私の中では結構ヒット。上手いっていうんじゃないんだけど、かなり雰囲気でてたと思うな。それに引き替え竹中直人はどうしていつも同じ演技なんだろう。今回は加藤清正役だったけど、豊臣秀吉も全部一緒じゃん。
それ以外にはこれといって特になかったな〜
ま、それほど期待していたわけではなかったのでいいんだけどね。「あずみ2」は観ないと思います。でも、原作の漫画の方はもう一回最初から全部読みたいな。原作の方はもうちょっと面白かったと思うんだけど・・・
う〜ん、まあ「梟の城」よりはずっとましかな。上戸彩の殺陣シーンはポーズばかりでほとんどないんだけど、まあ仕方ないか。おもしろさとしては修羅雪姫の方がおもしろかったかもしれない。
もともと小山ゆうの原作をちょっとだけ読んだことがある。あんまり覚えていないんだけど、そういえば一緒に育った仲間同士で斬り合うっていうエピソードあったな。
今回の映画で最も印象的だったのはオダギリジョーのキレた演技っぷり。彼が演じていたのは美女丸っていう、やたら腕は立つけど残酷で女言葉で話すような気持ち悪いヤツ。最初は誰が演じているのかわからなかったけれど、彼のあごにあるほくろでわかった。エキセントリックな感じが良く出ていて、私の中では結構ヒット。上手いっていうんじゃないんだけど、かなり雰囲気でてたと思うな。それに引き替え竹中直人はどうしていつも同じ演技なんだろう。今回は加藤清正役だったけど、豊臣秀吉も全部一緒じゃん。
それ以外にはこれといって特になかったな〜
ま、それほど期待していたわけではなかったのでいいんだけどね。「あずみ2」は観ないと思います。でも、原作の漫画の方はもう一回最初から全部読みたいな。原作の方はもうちょっと面白かったと思うんだけど・・・
クリスマス・キャロル
2005年3月9日なんだか妙に感動してしまいました。
そんなに感動ものだという期待はしないで観たんだけど、観ながら涙がつつーっ。1回目はクラチットの息子、ティムが歌ったとき。ただ歌っているだけなんだけど、勝手に涙が出ちゃったんだよね。自分でもなんでかわかんないんだけど。2回目は観終わった後かな。観終わった後もじんわり感動が続く感じで、人生も悪くないもんだなんて思ったりして。そして、いつでも人はやり直せるもんなんだなとか思ったりして。
ディケンズの小説が原作。私はディケンズの作品を一度も読んだことがないんだけど、原題はSCROOGEっていうタイトルで、けちんぼの代名詞として使われるくらいの名前なんだとか。本当にけちんぼで、お金以外に何も頼れるものがなく、薄給でクラチットをこき使ったり、とにかく心の狭いイヤなヤツなのだ。クリスマスだっていうのに、借金を取り立てにまわったりね。
でも、スクルージがそんなにイヤなヤツになってしまったのには理由があって、私たちはスクルージの元を訪れる過去の幽霊、現在の幽霊によってその理由を知ることができる。そうしてだんだんスクルージのことがそんなにイヤじゃなくなっていく。
映画ももちろん素晴らしい作品だと思うけど、やっぱりこの感動は原作のおかげなのではないかと思う。一人の人間が苦難のために心を閉ざしてしまうなんてことはありそうな話。多くの人が心を閉ざしたその人間を嫌っているんだけど、その中で何人かの人は、「でもあの人も本当はいい人なんだ」なんて信じていてくれたりするのも結構じんとくる。そして、心を閉ざしていた人間も、生きていることを喜び、人に優しくすることを思い出してみんなハッピーになるという、いやいや本当にハッピーエンドなのだ。
古い作品なので、特殊効果?ともいえないくらいちょっとちゃっちいシーンもあるにはあるけど、そんなことが気にならないくらい、作品としては本当に良い作品。この作品は、ちょっと元気がなくなったときに観るといいかもしれない。なんだか心が元気になって、まわりのみんなに感謝したい気分で一杯になれるかもしれない。いい作品だったので、ディケンズの本も読んでみようかな。
そんなに感動ものだという期待はしないで観たんだけど、観ながら涙がつつーっ。1回目はクラチットの息子、ティムが歌ったとき。ただ歌っているだけなんだけど、勝手に涙が出ちゃったんだよね。自分でもなんでかわかんないんだけど。2回目は観終わった後かな。観終わった後もじんわり感動が続く感じで、人生も悪くないもんだなんて思ったりして。そして、いつでも人はやり直せるもんなんだなとか思ったりして。
ディケンズの小説が原作。私はディケンズの作品を一度も読んだことがないんだけど、原題はSCROOGEっていうタイトルで、けちんぼの代名詞として使われるくらいの名前なんだとか。本当にけちんぼで、お金以外に何も頼れるものがなく、薄給でクラチットをこき使ったり、とにかく心の狭いイヤなヤツなのだ。クリスマスだっていうのに、借金を取り立てにまわったりね。
でも、スクルージがそんなにイヤなヤツになってしまったのには理由があって、私たちはスクルージの元を訪れる過去の幽霊、現在の幽霊によってその理由を知ることができる。そうしてだんだんスクルージのことがそんなにイヤじゃなくなっていく。
映画ももちろん素晴らしい作品だと思うけど、やっぱりこの感動は原作のおかげなのではないかと思う。一人の人間が苦難のために心を閉ざしてしまうなんてことはありそうな話。多くの人が心を閉ざしたその人間を嫌っているんだけど、その中で何人かの人は、「でもあの人も本当はいい人なんだ」なんて信じていてくれたりするのも結構じんとくる。そして、心を閉ざしていた人間も、生きていることを喜び、人に優しくすることを思い出してみんなハッピーになるという、いやいや本当にハッピーエンドなのだ。
古い作品なので、特殊効果?ともいえないくらいちょっとちゃっちいシーンもあるにはあるけど、そんなことが気にならないくらい、作品としては本当に良い作品。この作品は、ちょっと元気がなくなったときに観るといいかもしれない。なんだか心が元気になって、まわりのみんなに感謝したい気分で一杯になれるかもしれない。いい作品だったので、ディケンズの本も読んでみようかな。