めぐりあう時間たち
2006年8月21日観終わったときの感想はねー「うーん、難しかったかな」って感じ。
最初はめまぐるしく移り変わる時間と場所にちょっと混乱した。
でも、どの時代の女性も幸せいっぱいじゃないのね。
なんか悩んでる。
だけど、何をどう悩んでるかってことは、あまりはっきりとは説明されないし、そこは観ている人の想像に任されているみたい。
ヴァージニアは心を病んでる様子。
彼女は都会で暮らしている頃に発症して、彼女の夫は、彼女のためを思って仕事まで変えて田舎に移ってきたけど、逆に彼女にとってはそれが苦痛になっている。なんとも皮肉なこと。
ローラは一児の母で、もう一人を妊娠していて、夫はとても優しい。幸せいっぱいに見える彼女も、実はその暮らしに耐え難いほどの息苦しさを感じてたりして。これだって、他の人からしてみれば「いったい何が不満なの」というところなんだろうね。でも彼女にしてみれば、苦痛以外の何ものでもない。
クラリッサは、病気のリチャードの世話をずっとしているのだけど、彼女は彼をとても愛しているようでもあり、半ば義務感によるだけともとれたり。仮に彼女が、愛してはいるけれど、義務感からリチャードの世話をしているとしたら、それもまた皮肉なことに、リチャードにとっては重荷だったりして。彼は早くその重荷から逃れたかったようなのだけど、リチャードはリチャードでクラリッサに対し責任を感じて逃げられずにいた。
私には3人の女性の置かれた状況はこんな感じなんだろうと思えた。
だけど、作品中どこにも「何が彼女たちの悩みの種なのか」ってことが詳しく語られるところはないので、人によって感じ方は違うのかもしれない。
愛されているのに愛せない。
愛しているけど、その人のために生きることが苦痛でしかない。
「お互い深く愛し合い、末永く幸せに暮らしましたとさ」と、うまくいくことは現実世界では難しい。むしろ、本人たちですら「どこでどうしてこうなったのか?」とわからないうちに、すれ違い、食い違い、絶望感にうちひしがれたり、自分の存在価値を見出せないで生きていくっていう方が、現実的なのかもしれない。
チャーリーとチョコレート工場とは正反対の作品。
観終わっても幸せな気分になれるわけでもないし、悲しくて悲しくて涙がこぼれるわけでもない。ただ、「これが現実なんだろうな」と漠然と思ってしまうような感じ。気分が沈んでいるときに観ることはおすすめしないな。
最初はめまぐるしく移り変わる時間と場所にちょっと混乱した。
でも、どの時代の女性も幸せいっぱいじゃないのね。
なんか悩んでる。
だけど、何をどう悩んでるかってことは、あまりはっきりとは説明されないし、そこは観ている人の想像に任されているみたい。
ヴァージニアは心を病んでる様子。
彼女は都会で暮らしている頃に発症して、彼女の夫は、彼女のためを思って仕事まで変えて田舎に移ってきたけど、逆に彼女にとってはそれが苦痛になっている。なんとも皮肉なこと。
ローラは一児の母で、もう一人を妊娠していて、夫はとても優しい。幸せいっぱいに見える彼女も、実はその暮らしに耐え難いほどの息苦しさを感じてたりして。これだって、他の人からしてみれば「いったい何が不満なの」というところなんだろうね。でも彼女にしてみれば、苦痛以外の何ものでもない。
クラリッサは、病気のリチャードの世話をずっとしているのだけど、彼女は彼をとても愛しているようでもあり、半ば義務感によるだけともとれたり。仮に彼女が、愛してはいるけれど、義務感からリチャードの世話をしているとしたら、それもまた皮肉なことに、リチャードにとっては重荷だったりして。彼は早くその重荷から逃れたかったようなのだけど、リチャードはリチャードでクラリッサに対し責任を感じて逃げられずにいた。
私には3人の女性の置かれた状況はこんな感じなんだろうと思えた。
だけど、作品中どこにも「何が彼女たちの悩みの種なのか」ってことが詳しく語られるところはないので、人によって感じ方は違うのかもしれない。
愛されているのに愛せない。
愛しているけど、その人のために生きることが苦痛でしかない。
「お互い深く愛し合い、末永く幸せに暮らしましたとさ」と、うまくいくことは現実世界では難しい。むしろ、本人たちですら「どこでどうしてこうなったのか?」とわからないうちに、すれ違い、食い違い、絶望感にうちひしがれたり、自分の存在価値を見出せないで生きていくっていう方が、現実的なのかもしれない。
チャーリーとチョコレート工場とは正反対の作品。
観終わっても幸せな気分になれるわけでもないし、悲しくて悲しくて涙がこぼれるわけでもない。ただ、「これが現実なんだろうな」と漠然と思ってしまうような感じ。気分が沈んでいるときに観ることはおすすめしないな。
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