アメリカでベストセラーになった原作の映画化だと知ったのは最近のこと。原作は邦訳も出ているらしいのだけど、ウェブ上でレビューを見ていると「京都の言葉に翻訳するのは本当に大変だっただろうに」と翻訳者の苦労を讃えるコメントが多い。原作に対しても邦訳に対しても評価が高く、原作も今度機会があったら読んでみたいものだと思った。

ハリウッド映画が日本を描く時「いや、それはちょっと違うでしょう?」と思える作品が時々あったりするけど、この作品に関してはそれほど違和感を感じることはなかったな。ま、そもそも渡辺謙や役所広司、桃井かおりが英語をしゃべっている時点で、日本人の私にとっては「違和感」なんだけどね。かえって私には「聴き取りやすい」英語だったりして・・・ゲイシャの世界を知っているわけじゃないから、本当に知っている人からすれば実は違うところもあるのかもしれないけど。

工藤夕貴はともかく、メインの芸者である「さゆり」「まめは」「はつもも」の三人は三人とも中国人。でもそんなに違和感なかったかも。見事だなーと思ったのは「まめは」役のミシェル・ヨー。先輩芸者として「ちよ」を一人前の芸者に育てていく姿は、日本人が見ても日本人の芸者だと言われても疑問を感じないだろうなと思ってしまうくらい。立ち居振る舞いも、着物姿も美しかったし。美しさは万国共通なのかなー。「はつもも」役のコン・リーの意地悪っぷりも、「女の世界でありがちかも」と、ある意味自然な感じ。そう、何か作り物って感じがしなかったんだよね。これも原作の中での描写が詳細でしっかりしているからなのかもしれない。

この作品には舞の海が出て来るんだよ。
日本ではおなじみの彼だけど、たぶんアメリカ人には知られてないと思う。劇場で観ているときに「今この劇場の中に、舞の海のことを知っている人がどれだけいるだろう!!」と思ってしまった。実際に相撲をとるシーンで出て来るんだけど、舞の海の相手の力士はどう見ても素人っぽい感じだったんだよねー。身体が大きいだけで。さすがにこのときはちょっと違和感感じたかな。

それにしても、どうしてタイトルからゲイシャがなくなっちゃったのだろう?原作の翻訳本が「さゆり」だから日本での邦題も「SAYURI」となったのだと思うのだけど、どうして翻訳本を「さゆり」というタイトルにしたのか聞いてみたい。

私はこの作品は結構良かったと思うんだけどな。渡辺謙かっこよかったし。ファンとしてはそれだけで満足しちゃって、甘めの評価かも。

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