ミリオン・ダラー・ベイビー
2005年6月23日これまた重い作品を作ったもんだね、クリント・イーストウッドのおじちゃんは。最近見た「ミスティック・リバー」もそうだし、以前アカデミー賞(多分監督賞)を受賞した「許されざる者」もまあそうか。どれも重くて暗いかも。
もう31歳で、そしてすぐに32歳になろうというマギーは、ボクシングだけに自分のすべてを賭ける女性。好きだった父親は死に、母親や兄弟たちはものすごく嫌な奴らなのだ。彼女の生活はあまりに厳しい。ウェイトレスのバイトしながらジムに払うお金や生活費を稼いでいるんだけど、店の客が食べ残したものを持ってかえって食べるくらいの生活をしてまで、ジムに半年分のお金を払ったりする、そのエピソードから、彼女がどれくらいボクシングにすべてを注いでいるかがわかる。
そんな一途なマギーを、最初は「女は教えない」なんていって受け入れなかったフランキーも、スクラップの言葉やマギーの一途さにほだされて結局彼女のコーチをつとめることに。
フランキーは、自分のボクサーを大切にするあまり後もう少しで自分のボクサーもチャンピオンになれるというところで逃げられちゃったり、どうしてだかわからないけど、娘には絶縁されていて、毎週欠かさず欠いている手紙もすべて封も開けずに送り返されるような孤独な生活を送っている。
この二人を、静かに見守っているのがスクラップ。スクラップとフランキーのやり取りは、「本当に友達なの?」って思うくらい、言葉は悪かったりするんだけど、それも本当の友人だからこそなのかも。
フランキーのコーチのおかげで、マギーがどんどん力をつけ、家を買えるようになるくらいまでになり、さらいに階級を上げて、チャンピオンまであと一歩というところで悲劇が起こる。まさか、こんなことになっちゃうとはね・・・二人は血のつながりは当然ない訳だけど、いつの間にか、本当の父と娘に匹敵するほどの絆ができあがっている。家族愛はよく言われるけど、こうして本当の血のつながりなんてなくても、本当の家族よりもお互いのことを愛せるようになったりすることがあるんだな。父と娘ではないけど、B’zの昔の歌に「時の流れは妙におかしなもので 血よりも濃いものをつくることがあるね」という歌詞があるんだよね(果たして松ちゃんと稲葉さんのことを歌っているのかどうかは分からないけど)。そういう、長年一緒に苦労を共にして来た相棒との絆も、兄弟や家族の絆よりも強かったりするのかもしれない。考えてみれば夫婦だって、元は血のつながりなんてない、赤の他人だもの。それでも夫婦の絆というのは強いしね。
最後の方に、ゲール語で「モ・クシラ」という言葉の意味を聞いたときにマギーがうれしそうに涙を流すシーンが、二人の絆の強さを物語っている。
クリント・イーストウッドは、作品の最後に、少しだけ明るい希望を残すこともわすれない。そういえば、「ミスティック・リバー」でも、家を出て行ってしまった刑事の妻が生まれた子供を連れて帰ってくるという、少し明るい要素が描かれていたかも。たくさんの人がこの作品に感動し、そしてこの作品がアカデミー作品賞に選ばれたのもうなずける。ずしりと心に響く作品だった。
もう31歳で、そしてすぐに32歳になろうというマギーは、ボクシングだけに自分のすべてを賭ける女性。好きだった父親は死に、母親や兄弟たちはものすごく嫌な奴らなのだ。彼女の生活はあまりに厳しい。ウェイトレスのバイトしながらジムに払うお金や生活費を稼いでいるんだけど、店の客が食べ残したものを持ってかえって食べるくらいの生活をしてまで、ジムに半年分のお金を払ったりする、そのエピソードから、彼女がどれくらいボクシングにすべてを注いでいるかがわかる。
そんな一途なマギーを、最初は「女は教えない」なんていって受け入れなかったフランキーも、スクラップの言葉やマギーの一途さにほだされて結局彼女のコーチをつとめることに。
フランキーは、自分のボクサーを大切にするあまり後もう少しで自分のボクサーもチャンピオンになれるというところで逃げられちゃったり、どうしてだかわからないけど、娘には絶縁されていて、毎週欠かさず欠いている手紙もすべて封も開けずに送り返されるような孤独な生活を送っている。
この二人を、静かに見守っているのがスクラップ。スクラップとフランキーのやり取りは、「本当に友達なの?」って思うくらい、言葉は悪かったりするんだけど、それも本当の友人だからこそなのかも。
フランキーのコーチのおかげで、マギーがどんどん力をつけ、家を買えるようになるくらいまでになり、さらいに階級を上げて、チャンピオンまであと一歩というところで悲劇が起こる。まさか、こんなことになっちゃうとはね・・・二人は血のつながりは当然ない訳だけど、いつの間にか、本当の父と娘に匹敵するほどの絆ができあがっている。家族愛はよく言われるけど、こうして本当の血のつながりなんてなくても、本当の家族よりもお互いのことを愛せるようになったりすることがあるんだな。父と娘ではないけど、B’zの昔の歌に「時の流れは妙におかしなもので 血よりも濃いものをつくることがあるね」という歌詞があるんだよね(果たして松ちゃんと稲葉さんのことを歌っているのかどうかは分からないけど)。そういう、長年一緒に苦労を共にして来た相棒との絆も、兄弟や家族の絆よりも強かったりするのかもしれない。考えてみれば夫婦だって、元は血のつながりなんてない、赤の他人だもの。それでも夫婦の絆というのは強いしね。
最後の方に、ゲール語で「モ・クシラ」という言葉の意味を聞いたときにマギーがうれしそうに涙を流すシーンが、二人の絆の強さを物語っている。
クリント・イーストウッドは、作品の最後に、少しだけ明るい希望を残すこともわすれない。そういえば、「ミスティック・リバー」でも、家を出て行ってしまった刑事の妻が生まれた子供を連れて帰ってくるという、少し明るい要素が描かれていたかも。たくさんの人がこの作品に感動し、そしてこの作品がアカデミー作品賞に選ばれたのもうなずける。ずしりと心に響く作品だった。
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