私が通っていた高校って、なぜだか演劇が盛んで、文化祭のときには各クラスがかなり力の入った舞台を演じる。たった30分かそこらの劇なんだけど、3年生くらいになってくるとそこそこに質も上がって来て、少なくとも「学芸会」ではなかったと思う。そんな高校時代の文化祭で、私の友達のクラスがこの作品を舞台で演じた。原作の小説も読んだ。そんなわけで、今回は映画も観てみることに。

古い作品だから、演出の仕方とかで「古いな〜」と違和感を覚えることもあったんだけど、想像していたよりも大人の作品になっていた気がする。小説も、今となってそんなにはっきりとストーリーを思い出せる訳ではないんだけど、チャーリーと先生役の女性との間の恋愛みたいなものまで描かれていたかどうかは全く覚えがないや。もちろん、友達のクラスが作り上げた舞台には、30分しか余裕がないから、恋愛要素までは到底盛り込まれていなかったしね。映画ならではの味付けか?チャーリーと先生が恋に落ちて、二人でずっと一緒に過ごすシーンがあるんだけど、その間何回もチャーリーが「結婚しよう」って言っても、先生はなんだかのらりくらりとかわしていたのに、チャーリーの脳は、手術前のレベルにまた戻ってしまうことが結論づけられたら途端に「結婚しましょう」って言い出すところがちょっと許せなかった。何なんでしょう。自分よりも賢い人とは一緒にいられないという超プライド高い女ということか?謎だ・・・

あ、この作品を観ながら何度も「古いな〜」と思ったのは確かなんだけど、この作品も、時々、画面を二分割して、会話をしている二人の人物の表情を両方映したりしているシーンがあった。画面を分割して一度にたくさんの出来事を描く手法は、映画では「ハルク」が印象に残っているし、それ以外だったらなんといっても人気テレビドラマシリーズの「24」を思い出す。「あ、この手法って、こんなときでも使われてたんだ」なんてちょっと感心してしまった。

今じゃあこんな人体実験みたいなことは多分許されないんだろうな。これは別に実話というわけではないだろうけど、昔はこれに近いことが普通に行われていたのかも。最近はどんどん記憶がなくなって行ったり、若年性認知症なんかをテーマにした作品もあるけど、そんなふうに、今まで覚えていられたことが、今まで理解できたことが、今まで考えることができたことが、この先できなくなるとじわじわ思い知らされる気持ちというのはどんな感じなんだろう?考えるととてもこわいよね。

この作品に関しては、文章の方が表現手法としては優れていたかも。この原作は、最初はひらがなばかりで、間違った言葉もあるような、本当に小さな子供が書いたような文章で始まる。そして、チャーリーの知能が手術のおかげでどんどんあがって行くにつれ、文章には感じが増え、難しい言葉が増えてくる。そして、また、最初のひらがなだらけの文章に戻ってしまう・・・チャーリーの様子がどんな風に推移していくのか、読んでいる側はとてもよくわかった。その点、映像という表現手法を用いたときは、俳優ももちろんそれなりにチャーリーの変化をうまく演じていたんだとは思うんだけど、文章のわかりやすさにはかなわなかった様子。

もしも原作を読んだことがあったり、なんか興味があったら観てみてもいいかもね。でも結末で気分がちょっと暗くなっちゃうので、そういう暗いのを観ても大丈夫な状態のときに観た方がいいかも。

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