ストーカー
2005年4月22日もっと怖い作品かと思っていたんだけど、思っていたほどではなかった。家族も友人もいない主人公の心の闇を描いているわけだけど、狂気っぷりが今ひとつだったんだな。もっと狂っていて悲しい結末だったら、もっとインパクトがあったのかもしれないけど。
とはいえ、主人公を演じるロビン・ウィリアムズ。その風体がすでにちょっと怖い。全体的色がちょっと薄い感じ。ちょっとステレオタイプな見方ではあるけど、日本人にとっても、色が白くてひょろっとしていて、大柄ではなく、眼鏡をかけていて、物静かで・・・となると、ちょっといじめられっ子というか、いわゆる「オタク人間」という目でみんなからは見られると思う。今回の主人公も、色が白くて、紙の色まで薄い金髪で、眼鏡をかけていて、物静かで、小柄で・・・と、こんな雰囲気は、アメリカ人にとっても「ストーカーになりやすそう」みたいなタイプなんだろうか?変なところで共通の価値観があるのが面白い。
友達も家族もいなくて、どちらかというと周りからは馬鹿にされていて・・・という主人公が、幸せを絵に描いたような家族の写真を現像し続けているうちに、自分もその家族の一員のように思いこんでしまう。なんて寂しいんでしょう。
この映画が描きたかったのは、家族本人はほとんどその人間のことを重視していないのに、主人公だけは、唯一その家族だけを心のよりどころにしていて、そして家族の危機に際し、家族本人たち以上に過剰な反応を示すという異常さだったと思うんだけど、結局「いい人」さを捨てきれず、中途半端なキレっぷりになってしまい、その結果インパクトに欠ける結果になったのでは?愛情と憎しみは表裏一体と良く言われるけど、慈しみ愛していたものが、自分の期待を裏切る行動に出たとき、愛情が一気に憎しみに変わって思いっきりその対象を痛めつけるっていうのが、こういう作品の怖さなのに、残念ながらそうならなかったんだな。最初から作り手の方が、そんなに狂ったことまでさせないで、ひたすら寂しい主人公の寂しい姿を撮ることを主眼に置いていたんだったらいいのかもしれないけど。
私のこの見方は、もしかしたら日本語のタイトルに引っ張られているところが大きいかもしれない。原題は"One Hour Photo"だもんね。普段何気なく預けて現像&プリントしてもらっている写真屋さんが、まさか自分や自分の家族に異常なまでの関心を寄せているとわかったら怖いだろうな・・・という程度の怖さを期待してみるものだったのかもしれない。「ストーカー」っていわれると、もっともっと怖いものを想像しちゃったから。
それにしても、この作品のせいで、写真屋さんの売り上げは一時低迷するなんてことにはならなかったんだろうか?そこまでの影響力はこの作品にはなかったか?ま、いずれにしても、今はもうデジカメの時代だから、一時期に比べたらずいぶんと売り上げは落ちてしまったんじゃなかろうか。ただ、例えば友達の結婚式の写真とか、綺麗に残しておきたい写真をプリントするときは、うちのプリンターが古くていまいちだからというのもあるけど、やっぱり写真屋さんにプリントしてもらっている。そう考えると、デジカメの時代になっても、当初想定されていたほどは売り上げは落ちていないのかもしれないな。それと機械による合理化を進めて、むしろ利益率は変わってないかも。
だいぶ映画からは話がそれてしまったけど、この「ストーカー」という作品、期待していたほどではなかったのだ。
とはいえ、主人公を演じるロビン・ウィリアムズ。その風体がすでにちょっと怖い。全体的色がちょっと薄い感じ。ちょっとステレオタイプな見方ではあるけど、日本人にとっても、色が白くてひょろっとしていて、大柄ではなく、眼鏡をかけていて、物静かで・・・となると、ちょっといじめられっ子というか、いわゆる「オタク人間」という目でみんなからは見られると思う。今回の主人公も、色が白くて、紙の色まで薄い金髪で、眼鏡をかけていて、物静かで、小柄で・・・と、こんな雰囲気は、アメリカ人にとっても「ストーカーになりやすそう」みたいなタイプなんだろうか?変なところで共通の価値観があるのが面白い。
友達も家族もいなくて、どちらかというと周りからは馬鹿にされていて・・・という主人公が、幸せを絵に描いたような家族の写真を現像し続けているうちに、自分もその家族の一員のように思いこんでしまう。なんて寂しいんでしょう。
この映画が描きたかったのは、家族本人はほとんどその人間のことを重視していないのに、主人公だけは、唯一その家族だけを心のよりどころにしていて、そして家族の危機に際し、家族本人たち以上に過剰な反応を示すという異常さだったと思うんだけど、結局「いい人」さを捨てきれず、中途半端なキレっぷりになってしまい、その結果インパクトに欠ける結果になったのでは?愛情と憎しみは表裏一体と良く言われるけど、慈しみ愛していたものが、自分の期待を裏切る行動に出たとき、愛情が一気に憎しみに変わって思いっきりその対象を痛めつけるっていうのが、こういう作品の怖さなのに、残念ながらそうならなかったんだな。最初から作り手の方が、そんなに狂ったことまでさせないで、ひたすら寂しい主人公の寂しい姿を撮ることを主眼に置いていたんだったらいいのかもしれないけど。
私のこの見方は、もしかしたら日本語のタイトルに引っ張られているところが大きいかもしれない。原題は"One Hour Photo"だもんね。普段何気なく預けて現像&プリントしてもらっている写真屋さんが、まさか自分や自分の家族に異常なまでの関心を寄せているとわかったら怖いだろうな・・・という程度の怖さを期待してみるものだったのかもしれない。「ストーカー」っていわれると、もっともっと怖いものを想像しちゃったから。
それにしても、この作品のせいで、写真屋さんの売り上げは一時低迷するなんてことにはならなかったんだろうか?そこまでの影響力はこの作品にはなかったか?ま、いずれにしても、今はもうデジカメの時代だから、一時期に比べたらずいぶんと売り上げは落ちてしまったんじゃなかろうか。ただ、例えば友達の結婚式の写真とか、綺麗に残しておきたい写真をプリントするときは、うちのプリンターが古くていまいちだからというのもあるけど、やっぱり写真屋さんにプリントしてもらっている。そう考えると、デジカメの時代になっても、当初想定されていたほどは売り上げは落ちていないのかもしれないな。それと機械による合理化を進めて、むしろ利益率は変わってないかも。
だいぶ映画からは話がそれてしまったけど、この「ストーカー」という作品、期待していたほどではなかったのだ。
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